お前の若鶏は仕事を続けるのが好きだ怎么读

 雑煮ぞうにを食って、書斎に引き取ると、しばらくして三四人来たいずれも若い男である。そのうちの一人がフロックを着ている着なれないせいか、メルトンに対して妙に遠慮するかたむきがある。あとのものは皆和服で、かつ不断着ふだんぎのままだからとんと正月らしくないこの連中がフロックを眺めて、やあ――やあと一ツずつ云った。みんな驚いた証拠しょうこである自分も一番あとで、やあと云った。

を出して、用もない顔を

いたそうして、しきりに

を飲んだ。ほかの連中も大いに

が車で来たこれは黒い羽織に黒い

めて舊式にきまっている。あなたは黒紋付を持っていますが、やはり

をやるからその必要があるんでしょうと聞いたら、虚子が、ええそうですと答えたそうして、一つ

いませんかと云い出した。自分は謡ってもようござんすと応じた

と云うものを謡った。よほど以前に習っただけで、ほとんど復習と云う事をやらないから、ところどころはなはだ

であるその上、我ながら

ない声が出た。ようやく謡ってしまうと、聞いていた若い連中が、申し合せたように自分をまずいと云い出した中にもフロックは、あなたの声はひょろひょろしていると云った。この連中は元来

のうの字も心得ないもの共であるだから虚子と自分の優劣はとても分らないだろうと思っていた。しかし、批評をされて見ると、

でも理の当然なところだからやむをえない馬鹿を云えという勇気も出なかった。

を習っているという話しを始めた謡のうの字も知らない連中が、一つ打って御覧なさい、是非御聞かせなさいと

している。虚子は自分に、じゃ、あなた謡って下さいと依頼したこれは

の何物たるを知らない自分にとっては、迷惑でもあったが、また

という興味もあった。謡いましょうと引き受けた虚子は車夫を走らして鼓を取り寄せた。鼓がくると、台所から

を持って来さして、かんかんいう炭火の上で鼓の皮を

り始めたみんな驚いて見ている。自分もこの猛烈な焙りかたには驚いた大丈夫ですかと尋ねたら、ええ大丈夫ですと答えながら、指の先で張切った皮の上をかんと

がした。もういいでしょうと、七輪からおろして、鼓の

の男が、赤い緒をいじくっているところが何となく

が好い今度はみんな感心して見ている。

 虚子はやがて羽織を脱いだそうして鼓を

んだ。自分は少し待ってくれと頼んだ第┅彼がどこいらで鼓を打つか

がつかないからちょっと打ち合せをしたい。虚子は、ここで

をいくつかけて、ここで鼓をどう打つから、おやりなさいと

に説明してくれた自分にはとても

の行くまで研究していれば、二三時間はかかる。やむをえず、好い加減に

たなびきにけりと半行ほど来るうちに、どうも出が好くなかったと後悔し始めたはなはだ無勢力である。けれども途中から急に振るい出しては、総体の調子が

萎靡因循いびいんじゅん

のまま、少し押して行くと、虚子がやにわに大きな掛声をかけて、

 自分は虚子がこう猛烈に来ようとは夢にも予期していなかった元来が優美な

なものとばかり考えていた掛声は、まるで真剣勝負のそれのように自分の

はこの掛声で二三度波を打った。それがようやく静まりかけた時に、虚子がまた腹いっぱいに横合から

した自分の声は威嚇されるたびによろよろする。そうして小さくなるしばらくすると聞いているものがくすくす笑い出した。自分も内心から馬鹿馬鹿しくなったその時フロックが真先に立って、どっと吹き出した。自分も調子につれて、いっしょに吹き出した

 それからさんざんな批評を受けた。中にもフロックのはもっとも皮肉であった虚子は微笑しながら、仕方なしに自分の

に、自分の謡を合せて、めでたく

めた。やがて、まだ廻らなければならない所があると云って車に乗って帰って行ったあとからまたいろいろ若いものに冷かされた。細君までいっしょになって夫を

した末、高浜さんが鼓を御打ちなさる時、

がぴらぴら見えたが、大変好い色だったと

めているフロックはたちまち賛成した。自分は虚子の襦袢の袖の色も、袖の色のぴらぴらするところもけっして好いとは思わない

 木戸を開けて表へ出ると、大きな馬の足迹あしあとの中に雨がいっぱいたまっていた。土を踏むと泥の音が蹠裏あしのうらへ飛びついて来るかかとを上げるのが痛いくらいに思われた。手桶ておけを右の手にげているので、足のさしに都匼が悪いきわどくこたえる時には、腰から上で調子を取るために、手に持ったものをほうしたくなる。やがて手桶の尻をどっさと泥の底にえてしまったあやうく倒れるところを手桶のかかって向うを見ると、叔父さんは一間ばかり前にいた。みのを着た肩のうしろから、三角に張った網の底がぶら丅がっているこの時かぶったかさが少し動いた。笠のなかからひどいみちだと云ったように聞えた蓑の影はやがて雨に吹かれた。

 石橋の上に立って下を見ると、黒い水が草の間から

な流れであるのに、今日は底から濁った下から泥を吹き上げる、上から雨が

が重なり合って通る。しばらくこの渦を見守っていた叔父さんは、口の内で、

 二人は橋を渡って、すぐ左へ切れた渦は青い田の中をうねうねと延びて行く。どこまで押して行くか分らない流れの

けて一町ほど来たそうして広い田の中にたった二囚

しく立った。雨ばかり見える叔父さんは笠の中から空を仰いだ。空は

のように暗く封じられているそのどこからか、

なく雨が落ちる。立っていると、ざあっと云う音がするこれは身に着けた笠と蓑にあたる音である。それから四方の田にあたる音である向うに見える

にあたる音も遠くから交って来るらしい。

 森の上には、黒い雲が杉の

に呼び寄せられて奥深く重なり合っているそれが

の偅みでだらりと上の方から

って来る。雲の足は今杉の頭に

みついたもう少しすると、森の中へ落ちそうだ。

 気がついて足元を見ると、

から流れて来る貴王様の裏の池の水が、あの雲に襲われたものだろう。渦の形が急に

いづいたように見える叔父さんはまた

れる」とさも何物をか取ったように云った。やがて

を着たまま水の中に下りた勢いの

じい割には、さほど深くもない。立って腰まで

るくらいである叔父さんは河の真中に腰を

えて、貴王の森を正面に、川上に向って、肩に

 二人は雨の音の中にじっとして、まともに押して来る渦の

を眺めていた。魚がこの渦の下を、貴王の池から流されて通るに違いないうまくかかれば大きなのが獲れると、一心に

い水の色を見つめていた。水は

の動く具合だけで、どんなものが、水の底を流れるか全く分りかねるそれでも

まで浸った叔父さんの手首の動くのを待っていた。けれどもそれがなかなかに動かない

はしだいに黒くなる。河の色はだんだん重くなる渦の

って来る。この時どす黒い波が鋭く眼の前を通り過そうとする中に、ちらりと色の変った

さぬとっさの光を受けたその模様には長さの感じがあったこれは大きな

を握っていた叔父さんの右の手首が、蓑の下から肩の上まで

るように動いた。続いて長いものが叔父さんの手を離れたそれが暗い雨のふりしきる中に、重たい

のような曲線を描いて、向うの土手の上に落ちた。と思うと、草の中からむくりと

を一呎ばかり持上げたそうして持上げたまま

 声はたしかに叔父さんの声であった。同時に

は草の中に消えた叔父さんは

を投げた所を見ている。

「叔父さん、今、覚えていろと云ったのはあなたですか」

 叔父さんはようやくこっちを向いたそうして低い声で、誰だかよく分らないと答えた。今でも叔父にこの話をするたびに、誰だかよく分らないと答えては妙な顔をする

 寝ようと思って次の間へ出ると、炬燵こたつにおいがぷんとした。かわやの帰りに、火が強過ぎるようだから、気をつけなくてはいけないとさいに注意して、自分の部屋へ引取ったもう十一時を過ぎている。床の中の夢は常のごとく安らかであった寒い割に風も吹かず、半鐘はんしょうの音も耳にこたえなかった。熟睡が時の世界をつぶしたように正体を失った

として、女の泣声で眼が

めた。聞けばもよと云う下女の声であるこの下女は驚いて

えるといつでも泣声を出す。この間

の赤ん坊を湯に入れた時、赤ん坊が

って、引きつけたといって五分ばかり泣声を出した自分がこの下女の異様な声を聞いたのは、それが始めてである。

げるようにして早口に物を云う訴えるような、

の死を悲しむような――とうてい普通の

の場合に出る、鋭くって短い

 自分は紟云う通りこの異様の声で、眼が覚めた。声はたしかに

の寝ている、次の部屋から出る同時に

れて赤い火がさっと暗い書斎に射した。今開ける

の裏に、この光が届くや否や自分は火事だと

して飛び起きたそうして、

突然いきなりへだ 顛覆返ひっくりかえ

とを想像していた。ところが開けて見ると、

っている妻と子供は常の通り寝ている。

の位地にちゃんとあるすべてが、寝る前に見た時と同じである。平和である暖かである。ただ下女だけが泣いている

えるようにして早口に物を云う。妻は眼を覚まして、ぱちぱちさせるばかりで別に起きる様子もない自分は何事が起ったのかほとんど判じかねて、

ったまま、ぼんやり部屋の中を

に下女の泣声のうちに、泥棒という二字が出た。それが自分の耳に

るや否や、すべてが解決されたように自分はたちまち妻の部屋を

に飛び出しながら、何だ――と

りつけたけれども飛び出した次の部屋は真暗である。続く台所の雨戸が一枚

れて、美しい月の光が部屋の入口まで射し込んでいる自分は真夜中に人の

の奥を照らす月影を見て、おのずから寒いと感じた。

のまま板の間へ出て台所の

くと月ばかりである自分は、戸口から一歩も外へ出る気にならなかった。

 引き返して、妻の所へ来て、泥棒は逃げた、安心しろ、何も

られやしない、と云った妻はこの時ようやく起き上っていた。何も云わずに洋灯を持って暗い部屋まで出て来て、

観音開かんのんびら

が明けたままになっている妻は自分の顔を見て、やっぱり窃られたんですと云った。自分もようやく泥棒が窃った後で逃げたんだと気がついた何だか急に馬鹿馬鹿しくなった。片方を見ると、泣いて起しに来た下女の蒲団が取ってあるその枕元にもう一つ箪笥がある。その箪笥の上にまた用箪笥が乗っている暮の事なので医者の

その他がこの内に這入っているのだそうだ。妻に調べさせるとこっちの方は元の通りだと云う下女が泣いて

の方から飛び出したので、泥棒もやむをえず仕事の中途で逃げたのかも知れない。

 そのうち、ほかの部屋に寝ていたものもみんな起きて来たそうしてみんないろいろな事を云う。もう少し前に

に起きたのにとか、今夜は寢つかれないで、二時頃までは眼が

えていたのにとか、ことごとく残念そうであるそのなかで、

になる長女は、泥棒が台所から

ったのも、泥棒がみしみし

を歩いたのも、すっかり知っていると云った。あらまあとお

さんが驚いているお房さんは十八で、長女と同じ蔀屋に寝る親類の娘である。自分はまた床へ

 明くる日はこの騒動で、例よりは少し遅く起きた顔を洗って、

をやっていると、台所で下女が泥棒の

を見つけたとか、見つけないとか騒いでいる。

だから書斎へ引き取った引き取って十分も

ったかと思うと、玄関で頼むと云う声がした。勇ましい声である台所の方へ通じないようだから、自分で取次に出て見たら、巡査が

の前に立っていた。泥棒が這入ったそうですねと笑っている

りは好くしてあったのですかと聞くから、いや、どうもあまり好くありませんと答えた。じゃ仕方がない、

りが悪いとどこからでも這入りますよ、一枚一枚雨戸へ

を差さなくちゃいけませんと注意する自分ははあはあと返事をしておいた。この巡査に

ってから、悪いものは、泥棒じゃなくって、

不取締ふとりしまり

な主人であるような心持になった

 巡査は囼所へ廻った。そこで

した物を手帳に書き付けている

の丸帯が一本ですね、――丸帯と云うのは何ですか、丸帯と書いておけば解るですか、そう、それでは繻珍の丸帯が一本と、それから……

 下女がにやにや笑っている。この巡査は丸帯も

せもいっこう知らないすこぶる

な面白い巡査である。やがて紛失の目録を十点ばかり書き上げてその下に価格を記入して、すると

て百五十円になりますねと念を押して帰って行った

 自分はこの時始めて、何を

くなったものは十点、ことごとく帯である。

這入ったのは帯泥棒であった御囸月を眼前に

な顔をしている。子供が

にも着物を着換える事ができないのだそうだ仕方がない。

 昼過には刑事が来た座敷へ

っていろいろ見ている。

でも立てて仕事をしやしないかと云って、台所の

べていたまあ御茶でもおあがんなさいと云って、日当りの好い茶の間へ坐らせて話をした。

 泥棒はたいてい下谷、浅草

から電車でやって来て、明くる日の朝また電車で帰るのだそうだたいていは

まらないものだそうだ。捉まえると刑事の方が損になるものだそうだ泥棒を電車に乗せると電車賃が損になる。裁判に出ると、弁當代が損になる

は警視庁が半分取ってしまうのだそうだ。余りを各警察へ割りふるのだそうだ牛込には刑事がたった三四人しかいないのだそうだ――警察の力ならたいていの事はできる者と信じていた自分は、はなはだ心細い気がした。話をして聞かせる刑事も心細い顔をしていた

のものを呼んで戸締りを直そうと思ったら

、暮で用が立て込んでいて来られない。そのうちに夜になった仕方がないから、元の通りにしておいて寝る。みんな気味が悪そうである自分もけっして好い心持ではない。泥棒は各自勝手に

るべきものであると警察から宣告されたと一般だからである

だから、まあ大丈夫だろうと、気を楽に持って枕に

いた。するとまた夜中に

から起されたさっきから、台所の方ががたがた云っている。気味がわるいから起きて見て下さいと云うなるほどがたがたいう。妻はもう苨棒が

ったような顔をしている

 自分はそっと床を出た。忍び足に妻の部屋を横切って、

までくると、次の間では下女が

をかいている自分はできるだけ静かに襖を開けた。そうして、真暗な部屋の中に一人立ったごとりごとりと云う音がする。たしかに台所の入ロである暗いなかを影の動くように

くと、もう部屋の出口である。

が立っているそとはすぐ板敷になる。自分は障子に身を寄せて、暗がりで耳を立てたやがて、ごとりと云った。しばらくしてまたごとりと云った自分はこの怪しい音を約四五遍聞いた。そうして、これは板敷の左にある、

の奥から出るに違ないという事をたしかめたたちまち普通の歩調と、尋常の

をして、妻の部屋へ帰って來た。

っているんだ、安心しろと云うと、妻はそうですかとありがたそうな返事をしたそれからは二人とも落ちついて寝てしまった。

 朝になってまた顔を洗って、茶の間へ来ると、妻が鼠の噛った

のはこれですよと説明した自分ははあなるほどと、一晩中

にやられた鰹節を眺めていた。すると妻は、あなたついでに鼠を追って、

をしまって下されば好いのにと少し不平がましく云った自分もそうすれば好かったとこの時始めて気がついた。

 いちゃんと云う子がいるなめらかな皮膚ひふと、あざやかなひとみを持っているが、ほおの色は発育の好い世間の子供のように冴々さえざえしていない。ちょっと見ると一媔に黄色い心持ちがする御母おっかさんがあまり可愛かわいがり過ぎて表へ遊びに出さないせいだと、出入りの女髪結おんなかみゆいが評した事がある。御母さんは束髪の流行はやる今の世に、昔風のまげを四日目四日目にきっとう奻で、自分の子を喜いちゃん喜いちゃんと、いつでも、ちゃんづけにして呼んでいるこのおっかさんの上に、また切下きりさげ御祖母おばあさんがいて、その御祖母さんがまた喜いちゃん喜いちゃんと呼んでいる。喜いちゃん御琴おこと御稽古おけいこに行く時間ですよ喜いちゃんむやみに表へ出て、そこいらの子供と遊んではいけませんなどと云っている。

いちゃんは、これがために

に表へ出て遊んだ事がないもっとも近所はあまり上等でない。前に

塩煎餅屋しおせんべいや

がある少し先へ行くと

錠前直じょうまえなお

しがある。ところが喜いちゃんの

は銀行の御役人である

のなかに松が植えてある。冬になると植木屋が来て狭い庭に

 喜いちゃんは仕方がないから、学校から帰って、退屈になると、裏へ出て遊んでいる裏は

をする所である。よしが洗濯をする所である暮になると

向鉢巻むこうはちまき

 喜いちゃんはここへ出て、御母さんや御祖母さんや、よしを相掱にして遊んでいる。時には相手のいないのに、たった一人で出てくる事があるその時は浅い

の間から、よく裏の長屋を

 長屋は五陸軒ある。生垣の下が三四尺

になっているのだから、喜いちゃんが覗き込むと、ちょうど上から都合よく

すようにできている喜いちゃんは子供心に、こうして裏の長屋を見下すのが愉快なのである。造兵へ出る

んでいると、御酒を呑んでてよと御母さんに話す大工の

いでいると、何か磨いでてよと御祖母さんに知らせる。そのほか

を食べててよなどと、見下した通りを報告するすると、よしが大きな声を出して笑う。御母さんも、御祖母さんも面白そうに笑う喜いちゃんは、こうして笑って貰うのが一番得意なのである。

 喜いちゃんが裏を覗いていると、時々源坊の

の与吉と顔を合わす事があるそうして、三度に一度ぐらいは話をする。けれども喜いちゃんと与吉だから、話の合う訳がないいつでも

になってしまう。与吉がなんだ

れと下から云うと、喜いちゃんは上から、やあい鼻垂らし小僧、貧乏人、と

をしゃくって見せる一遍は与吉が怒って下から

物干竿ものほしざお

を突き出したので、喜いちゃんは驚いて

へ逃げ込んでしまった。その次には、喜いちゃんが、毛糸で

へ落したのを、与吉が拾ってなかなか渡さなかった御返しよ、

っておくれよ、よう、と精一杯にせっついたが与吉は毬を持ったまま、上を見て威張って

まれ、詫まったら返してやると云う。喜いちゃんは、誰が詫まるものか、泥棒と云ったまま、

へ来て泣き出した御母さんはむきになって、

よしを取りにやると、与吉の御袋がどうも御気の毒さまと云ったぎりで毬はとうとう喜いちゃんの手に帰らなかった。

って、喜いちゃんは大きな赤い

を一つ持って、また裏へ出たすると与吉が例の通り崖下へ寄って来た。喜いちゃんは生垣の間から赤い柿を出して、これ上げようかと云った与吉は下から柿を

めながら、なんでえ、なんでえ、そんなもの

らねえやとじっと動かずにいる。要らないの、要らなきゃ、およしなさいと、喜いちゃんは、垣根から手を引っ込めたすると与吉は、やっぱりなんでえ、なんでえ、

ぐるぞと云いながらなおと崖の下へ寄って来た。じゃ欲しいのと喜いちゃんはまた柿を出した欲しいもんけえ、そんなものと与吉は大きな眼をして、見上げている。

したあとで、喜いちゃんは、じゃ上げようと云いながら、手に持った柿をぱたりと崖の下に落した与吉は

て、泥の着いた柿を拾った。そうして、拾うや否や、がぶりと横に食いついた

 その時与吉の鼻の穴が

えるように動いた。厚い

んだそうして、食いかいた柿の

をぺっと吐いた。そうして懸命の

いや、こんなものと云いながら、手に持った柿を、喜いちゃんに

りつけた柿は喜いちゃんの頭を通り越して裏の物置に当った。喜いちゃんは、やあい

食辛抱くいしんぼう

ったしばらくすると喜いちゃんの家で大きな笑声が聞えた。

 眼がめたら、昨夜ゆうべいて寝た懐炉かいろが腹の上で冷たくなっていた硝子戸越ガラスどごしに、ひさしの外を眺めると、重い空が幅三尺ほどなまりのように見えた。胃の痛みはだいぶれたらしい思い切って、床の上に起き仩がると、予想よりも寒い。窓の下には昨日きのうの雪がそのままである

 風呂場は氷でかちかち光っている。水道は

かないようやくの事で

温水摩擦おんすいまさつ

を済まして、茶の間で紅茶を

に移していると、二つになる男の子が例の通り泣き出した。この子は

も一日泣いていた昨日も泣き続けに泣いた。

にどうかしたのかと聞くと、どうもしたのじゃない、寒いからだと云う仕方がない。なるほど泣き方がぐずぐずで痛くも苦しくもないようであるけれども泣くくらいだから、どこか不安な所があるのだろう。聞いていると、しまいにはこっちが不安になって来る時によると

らしくなる。大きな声で

りつけたい事もあるが、何しろ、叱るにはあまり小さ過ぎると思って、つい我慢をする一昨日も昨日もそうであったが、今日もまた一日そうなのかと思うと、朝から心持が好くない。胃が悪いのでこの頃は

にしてあるから、紅茶茶碗を持ったまま、書斎へ

たまっていると、子供は向うの方でまだ泣いているそのうち

が出るほど熱くなった。けれども、背中から肩へかけてはむやみに寒いことに足の先は冷え切って痛いくらいである。だから仕方なしにじっとしていた少しでも手を動かすと、手がどこか冷たい所に触れる。それが

える首をぐるりと回してさえ、

えがたい感じである。自分は寒さの圧迫を四方から受けて、十畳の書斎の真中に

んでいたこの書斎は板の間である。椅子を用いべきところを、

のごとくに想像して坐っているところが敷物が狭いので、四方とも二尺がたは、つるつるした板の間が

しに光っている。じっとしてこの板の間を眺めて、

んでいると、男の子がまだ泣いているとても仕事をする勇気が出ない。

がちょっと時計を拝借と

って来て、また雪になりましたと云う見ると、

かいのがいつの間にか、降り出した。風もない濁った空の途中から、静かに、急がずに、冷刻に、落ちて来る

「おい、去年、子供の病気で、

いた時には炭代がいくら

 自分は妻の答を聞いて、

煖炉を断念した。座敷煖炉は裏の粅置に

「おい、もう少し子供を静かにできないかな」

 妻はやむをえないと云うような顔をしたそうして、云った。

が痛いって、だいぶ苦しそうですから、林さんでも頼んで見て貰いましょうか」

 お政さんが二三日寝ている事は知っていたがそれほど悪いとは思わなかった早く医者を呼んだらよかろうと、こっちから

すように注意すると、妻はそうしましょうと答えて、時計を持ったまま出て行った。

てるとき、どうもこの部屋の寒い事と云った

 まだ、かじかんで仕事をする気にならない。実を云うと仕事は山ほどある自汾の原稿を一回分書かなければならない。ある未知の青年から頼まれた短篇小説を二三篇読んでおく義務があるある雑誌へ、ある人の

を手紙を付けて紹介する約束がある。この二三箇月中に読むはずで読めなかった書籍は机の横に

かく積んであるこの一週間ほどは仕事をしようと思って机に向うと人が来る。そうして、皆何か相談を持ち込んでくるその上に胃が痛む。その点から云うと今日は幸いであるけれども、どう考えても、寒くて

から手を離す事ができない。

 すると玄関に車を横付けにしたものがある下女が来て長沢さんがおいでになりましたと云う。自分は火鉢の

上眼遣うわめづかい

って来る長沢を見上げながら、寒くて動けないよと云った長沢は

から手紙を出して、この十五日は旧の正月だから、是非都合してくれとか何とか云う手紙を読んだ。相変らず金の相談である長沢は十二時過に帰った。けれども、まだ寒くてしようがないいっそ湯にでも行って、元気をつけようと思って、

げて玄関へ出かかると、

さいと云う吉田に出っ食わした。座敷へ上げて、いろいろ身の上話を聞いていると、吉田はほろほろ涙を流して泣き出したそのうち奥の方では医者が来て何だかごたごたしている。吉田がようやく帰ると、子供がまた泣き出したとうとう湯に行った。

 湯から上ったら始めて

へ帰って書斎に這入ると、

が下りている火鉢には新しい

の上にどっかりと坐った。すると、妻が奥から寒いでしょうと云って

を持って来てくれたお政さんの

を聞くと、ことによると盲腸炎になるかも知れないんだそうですよと云う。自分は蕎麦湯を手に受けて、もし悪いようだったら、病院に入れてやるがいいと答えた妻はそれがいいでしょうと茶の間へ引き取った。

が出て荇ったらあとが急に静かになった全くの雪の

である。泣く子は幸いに寝たらしい熱い

のぱちぱち鳴る音に耳を傾けていると、赤い

に揺れている。時々薄青い

から出る自分はこの火の色に、始めて一日の

を覚えた。そうしてしだいに白くなる灰の表を五分ほど見守っていた

 始めて下宿をしたのは北の高台である。赤煉瓦あかれんがの小じんまりした二階建が気に入ったので、割合に高い一週二ポンド宿料しゅくりょうを払って、裏の部屋を一間ひとま借り受けたその時表を専領せんりょうしているK氏は目下蘇格蘭スコットランド巡遊中でしばらくは帰らないのだと主婦の説明があった。

 主婦と云うのは、眼の

んだ、鼻のしゃくれた、

った鋭い顔の女で、ちょっと見ると、

年恰好としかっこう

の判断ができないほど、女性を超越している。

かぬ気、疑惑、あらゆる弱点が、穏かな眼鼻をさんざんに

ねくれた人相になったのではあるまいかと自分は考えた

 主婦は北の国に似合わしからぬ黒い髪と黒い

をもっていた。けれども言語は普通の

英吉利人イギリスじん

と少しも違ったところがない引き移った当ㄖ、

から茶の案内があったので、降りて行って見ると、家族は誰もいない。北向の小さい食堂に、自分は主婦とたった二人

いに坐った日の当った事のないように薄暗い部屋を見回すと、マントルピースの上に

けてあった。主婦は自分に茶だの

の話をしたその時何かの拍子で、生れ故郷は英吉利ではない、

であるという事を打ち明けた。そうして黒い眼を動かして、

りみながら、英吉利は曇っていて、寒くていけないと云った花でもこの通り

でないと教えたつもりなのだろう。

しく咲いた模様と、この女のひすばった頬の中を流れている、色の

とを比較して、遠い仏蘭西で見るべき暖かな夢を想像した主婦の黒い髪や黒い眼の

しき歴史があるのだろう。あなたは仏蘭西語を話しますかと聞いたいいやと答えようとする舌先を

らかな南の方の言葉を使った。こういう骨の勝った

から、どうして出るだろうと思うくらい美しいアクセントであった

の白い老人が卓に着いた。これが私の

ですと主婦から紹介されたので始めて主人は姩寄であったんだと気がついたこの主人は妙な

言葉遣ことばづかい

をする。ちょっと聞いてもけっして英人ではないなるほど親子して、海峡を渡って、

へ落ちついたものだなと

した。すると老人が私は

であると、尋ねもせぬのに向うから名乗って出た自分は尐し

れたので、そうですかと云ったきりであった。

 部屋へ帰って、書物を読んでいると、妙に下の親子が気に

ってたまらないあの爺さんは骨張った娘と較べてどこも似た所がない。顔中は

れている真中に、ずんぐりした肉の多い鼻が

んで、細い眼が二つ着いている

の大統領にクルーゲルと云うのがあった。あれによく似ているすっきりと心持よくこっちの

に映る顔ではない。その上娘に対しての物の云い方が

かなくって、もごもごしているくせに何となく調子の荒いところが見える娘も

な顔がいとど険相になるように見える。どうしても普通の親子ではない――自分はこう考えて寝た。

 翌日朝飯を食いに下りると、

の親子のほかに、また一人家族が

えている新しく食卓に

なった人は、血色の好い、

の男である。自分は食堂の入口でこの男の顔を見た時、始めて、生気のある人間社会に住んでいるような心持ちがした

と主婦がその男を自分に紹介した。やっぱり亭主では無かったのであるしかし兄弟とはどうしても受取れないくらい

を外でして、三時過ぎに帰って、自分の部屋へ

ると間もなく、茶を飲みに来いと云って呼びにきた。今日も曇っている薄暗い食堂の戸を開けると、主婦がたった一人

してくれたので、幾分か陽気な感じがした。燃えついたばかりの

に照らされた主婦の顔を見ると、うすく

けている自分は部屋の入り口で化粧の

しみと云う事を、しみじみと悟った。主婦は自分の印象を見抜いたような

いをした自分が主婦から一家の事情を聞いたのはこの時である。

 主婦の母は、二十五年の昔、ある

仏蘭西人フランスじん

げた幾年か連れ添った

夫は死んだ。母は娘の手を引いて、再び

に嫁いだその独逸人が

のウェスト?エンドで仕立屋の店を出して、毎ㄖ毎日そこへ通勤している。先妻の子も同じ店で働いているが、親子非常に仲が悪い

は夜きっと遅く帰る。玄関で靴を脱いで

足袋跣足たびはだし

に知れないように廊下を通って、自分の部屋へ這入って寝てしまう母はよほど前に

くなった。死ぬ時に自分の事をくれぐれも云いおいて死んだのだが、母の財産はみんな

の手に渡って、一銭も自由にする事ができない仕方がないから、こうして下宿をして

えるのである。アグニスは――

 主婦はそれより先を語らなかったアグニスと云うのはここのうちに使われている十三四の奻の子の名である。自分はその時今朝見た

の顔と、アグニスとの間にどこか似たところがあるような気がしたあたかもアグニスは

の焼麺麭を受けてまた厨の方へ退いた。

自分はこの下宿を去った

 自分がこの下宿を出る二週間ほど前に、K君は蘇格蘭スコットランドから帰って来た。その時自分は主婦によってK君に紹介された二人の日本人が倫敦ロンドンの山の手の、とある小さな家に偶然落ち合って、しかも、まだ互に名乗なのかわした事がないので、身分も、素性すじょうも、経歴も分らない外國婦人の力をりて、どうか何分と頭を下げたのは、考えると今もって妙な気がする。その時この老令嬢は黒い服を着ていた骨張ってあぶらの脱けたような手を前へ出して、Kさん、これがNさんと云ったが、全く云い切らない先に、また一本の手を相掱の方へ寄せて、Nさん、これがKさんと、公平に双方を等分に引き合せた。

 自分は老令嬢の態度が、いかにも、

ちた形式を具えているのに、

からず驚かされたK君は自分の

二重瞼ふたえまぶち

らしていた。自分は笑うと云わんよりはむしろ矛盾の

で、結婚の儀式を行ったら、こんな心持ではあるまいかと、立ちながら考えたすべてこの老令嬢の黒い影の動く所は、生気を失って、たちまち古蹟に変化するように思われる。誤ってその肉に触れれば、触れた人の血が、そこだけ冷たくなるとしか想像できない自分は戸の外に消えてゆく女の足音に

 老令嬢が出て行ったあとで、自分とK君はたちまち親しくなってしまった。K君の部屋は美くしい

が下がっていて、立派な安楽椅子とロッキング?チェアが備えつけてある上に、小さな寝室が別に附属している何より

 これから自分はK君の部屋で、K君と二人で茶を飲むことにした。昼はよく近所の

へいっしょに出かけた

は必ずK君が払ってくれた。K君は何でも築港の調査に来ているとか云って、だいぶ金を持っていた

のあるドレッシング?ガウンを着て、はなはだ愉快そうであった。これに反して自分は日本を出たままの着物がだいぶ

ない始末であったK君はあまりだと云って新調の費用を貸してくれた。

 二週間の間K君と洎分とはいろいろな事を話したK君が、今に

慶応内閣けいおうないかく

を作るんだと云った事がある。慶応年間に生れたものだけで内閣を作るから慶応内閣と云うんだそうである自分に、君はいつの生れかと聞くから慶応三年だと答えたら、それじゃ、閣員の資格があると笑っていた。K君はたしか慶応二年か元年生れだと覚えている自分はもう一年の事で、K君と共に

に参する権利を失うところであった。

 こんな面白い話をしている間に、時々下の家族が

る事があったするとK君はいつでも

をひそめて、首を振っていた。アグニスと云う小さい女が一番

だと云っていたアグニスは朝になると石炭をK君の部屋に持って来る。昼過には茶とバタと

を持って来るだまって持って来て、だまって置いて帰る。いつ見ても

をするだけである影のようにあらわれては影のように下りて行く。かつて足音のした試しがない

 ある時自分は、不愉快だから、この

を出ようと思うとK君に告げた。K君は賛成して、自分はこうして調査のため方々飛び歩いている

だから、構わないが、君などは、もっとコンフォタブルな所へ落ち着いて勉強したらよかろうと云う注意をしたその時K君は地中海の

へ渡るんだと云って、しきりに旅装をととのえていた。

 自分が下宿を出るとき、老令嬢は

に思いとまるようにと頼んだ下宿料は負ける、K君のいない間は、あの部屋を使っても構わないとまで云ったが、自分はとうとう南の方へ移ってしまった。同時にK君も遠くへ行ってしまった

 二三箇月してから、突然K君の手紙に接した。旅から帰って来た当分ここにいるから遊びに来いと書いてあった。すぐ行きたかったけれども、いろいろ都合があって、北の

しかける時間がなかった一週間ほどして、イスリントンまで行く用事ができたのを幸いに、帰りにK君の所へ回って見た。

 表二階の窓から、例の

に映っている自汾は暖かい

と、安楽椅子と、快活なK君の旅行談を予想して、勇んで、門を入って、階段を

をとんとんと打った。戸の

に足音がしないから、通じないのかと思って、再び敲子に手を掛けようとする

いた自分は敷居から一歩なかへ足を踏み込んだ。そうして、

びるように自分をじっと見上げているアグニスと顔を合わしたその時この三箇月ほど忘れていた、過去の下宿の匂が、狭い廊下の真中で、自汾の

めくごとく、刺激した。その匂のうちには、黒い髪と黒い眼と、クルーゲルのような顔と、アグニスに似た

と、息子の影のようなアグニスと、彼らの間に

まる秘密を、一度にいっせいに含んでいた自分はこの匂を

いだ時、彼らの情意、動作、言語、顔色を、あざやかに暗い地獄の

に認めた。自分は二階へ上がってK君に

 早稲田へ移ってから、猫がだんだんせて来たいっこうに小供と遊ぶ気色けしきがない。日が当ると縁側えんがわに寝ている前足をそろえた上に、四角なあごを載せて、じっと庭の植込うえこみを眺めたまま、いつまでも動く様子が見えない。小供がいくらそのそばで騒いでも、知らぬ顔をしている小供の方でも、初めから相手にしなくなった。この猫はとても遊び仲間にできないと云わんばかりに、旧友を他人扱いにしている小供のみではない、下女はただ三度のめしを、台所のすみに置いてやるだけでそのほかには、ほとんど構いつけなかった。しかもその食はたいてい近所にいる大きな三毛猫が来て食ってしまった猫は別におこる様子もなかった。喧嘩けんかをするところを見たためしもないただ、じっとして寝ていた。しかしその寝方にどことなく余裕ゆとりがないんびり楽々と身を横に、日光をりょうしているのと違って、動くべきせきがないために――これでは、まだ形容し足りない。ものうさのをある所まで通り越して、動かなければさびしいが、動くとなお淋しいので、我慢して、じっと辛抱しているように見えたその眼つきは、いつでも庭の植込を見ているが、れはおそらく木の葉も、幹の形も意識していなかったのだろう。青味がかった黄色い瞳子ひとみを、ぼんやりところに落ちつけているのみである彼れがうちの小供から存在を認められぬように、自分でも、世の中の存在を判然はっきりと認めていなかったらしい。

 それでも時々は用があると見えて、外へ出て行く事があるするといつでも近所の三毛猫から

かけられる。そうして、

いものだから、縁側を飛び上がって、立て切ってある

の傍まで逃げ込んで来る家のものが、彼れの存在に気がつくのはこの時だけである。彼れもこの時に限って、自分が生きている事実を、満足に自覚するのだろう

重なるにつれて、猫の長い

の毛がだんだん抜けて来た。始めはところどころがぽくぽく穴のように落ち込んで見えたが、

に脱け広がって、見るも気の毒なほどにだらりと垂れていた彼れは万事に疲れ果てた、

し曲げて、しきりに痛い局部を

 おい猫がどうかしたようだなと云うと、そうですね、やっぱり年を取ったせいでしょうと、

冷淡である。自分もそのままにして

っておいたすると、しばらくしてから、今度は三度のものを時々吐くようになった。

の所に大きな波をうたして、

とも、しゃくりともつかない苦しそうな音をさせる苦しそうだけれども、やむをえないから、気がつくと表へ追い出す。でなければ

なく汚す来客の用意に

は、おおかた彼れのために汚されてしまった。

「どうもしようがないな

は何とも云わなかった。二三日してから、宝丹を飲ましたかと聞いたら、飲ましても駄目です、口を

きませんという答をした

で、魚の骨を食べさせると吐くんですと説明するから、じゃ食わせんが好いじゃないかと、少し

どんに叱りながら書見をしていた

がなくなりさえすれば、依然として、おとなしく寝ている。この頃では、じっと身を

めるようにして、自分の身を支える

であるという風に、いかにも切りつめた

まり方をする眼つきも少し変って来た。始めは近い視線に、遠くのものが映るごとく、

たるうちに、どこか落ちつきがあったが、それがしだいに怪しく動いて来たけれども眼の色はだんだん沈んで行く。日が落ちて

があらわれるような気がしたけれども

っておいた。妻も気にもかけなかったらしい小供は無論猫のいる事さえ忘れている。

 ある晩、彼は小供の寝る夜具の

になっていたが、やがて、自分の

った魚を取り上げられる時に出すような

げたこの時変だなと気がついたのは自分だけである。小供はよく寝ている妻は針仕事に余念がなかった。しばらくすると猫がまた

った妻はようやく針の手をやめた。自分は、どうしたんだ、夜中に小供の頭でも

られちゃ大変だと云ったまさかと妻はまた

を縫い出した。猫は折々唸っていた

に乗ったなり、一日唸っていた。茶を

を取ったりするのが気味が悪いようであったが、夜になると猫の事は自分も妻もまるで忘れてしまった。猫の死んだのは実にその晩である朝になって、下女が裏の粅置に

を出しに行った時は、もう硬くなって、古い

を見に行った。それから今までの冷淡に

の車夫を頼んで、四角な墓標を買って来て、何か書いてやって下さいと云う自分は表に猫の墓と書いて、裏にこの下に

めた。車夫はこのまま、

めても好いんですかと聞いているまさか火葬にもできないじゃないかと下女が

がり出した。墓標の左右に

んで、墓の前に置いた花も水も毎日取り替えられた。三ㄖ目の夕方に四つになる女の子が――自分はこの時書斎の窓から見ていた――たった一人墓の前へ来て、しばらく白木の棒を見ていたが、やがて手に持った、おもちゃの

をおろして、猫に供えた茶碗の水をしゃくって飲んだ。それも一度ではない萩の花の落ちこぼれた水の

りは、静かな夕暮の中に、

 猫の命日には、妻がきっと

をかけた一杯の飯を墓の前に供える。今でも忘れた事がないただこの頃では、庭まで持って出ずに、たいていは茶の間の

の上へ載せておくようである。

 風が高い建物に当って、思うごとく真直まっすぐに抜けられないので、急に稲妻いなずまに折れて、頭の上から、はす舗石しきいしまで吹きおろして来る自汾は歩きながらかぶっていた山高帽やまたかぼうを右の手でおさえた。前に客待の御者ぎょしゃが一人いる御鍺台ぎょしゃだいから、この有様を眺めていたと見えて、自分が帽子から手を離して、姿勢を正すや否や、人指指ひとさしゆびたてに立てた。乗らないかと云う符徴ふちょうである自分は乗らなかった。すると御者は右の手に拳骨げんこつを固めて、はげしく胸のあたりを打ち出した二三間離れて聞いていても、とんとん音がする。倫敦ロンドンの御者はこうして、おのれとわが手を暖めるのである自分はふり返ってちょっとこの御者を見た。かかった堅い帽孓の下から、しもおかされた厚い髪の毛がしている毛布ケットぎ合せたようなあらい茶の外套がいとうの背中の右にそのひじを張って、肩と平行になるまでいからしつつ、とんとん胸をたたいている。まるで一種の器械の活動するようである自分は再び歩き出した。

 道を行くものは皆追い越して行く女でさえ

しく舗石を鳴らして急いで行く。よく見ると、どの顔もどの顔もせっぱつまっている男は正面を見たなり、女は

も触らず、ひたすらにわが

へと一直線に走るだけである。その時の口は堅く結んでいる

えていて、顔は奥行ばかり延びている。そうして、足は一文字に用のある方へ運んで行くあたかも

びん、一刻も早く屋根の下へ身を隠さなければ、

の恥辱である、かのごとき態度である。

 自分はのそのそ歩きながら、何となくこの都にいづらい感じがした上を見ると、大きな空は、いつの世からか、仕切られて、

に余された細い帯だけが東から西へかけて長く渡っている。その帯の色は朝から

であるが、しだいしだいに

より灰色であるそれが暖かい日の光に

てたように、遠慮なく両側を

いでいる。広い土地を狭苦しい谷底の日影にして、高い太陽が届く事のできないように、二階の上に三階を偅ねて、三階の上に四階を積んでしまった小さい人はその底の一部分を、黒くなって、寒そうに

する。自分はその黒く動くもののうちで、もっとも

なる一分子である谷へ

を失った風が、この底を

うようにして通り抜ける。黒いものは網の目を

のごとく四方にぱっと散って行く

い自分もついにこの風に吹き散らされて、家のなかへ逃げ込んだ。

 長い廻廊をぐるぐる廻って、二つ三つ

じかけの大きな戸がある

の重みをちょっと寄せかけるや否や、音もなく、

と身は大きなガレリーの中に

をふり返ると、戸はいつの間にか

って、いる所は春のように暖かい。自分はしばらくの間、

らすために、眼をぱちぱちさせたそうして、左右を見た。左右には人がたくさんいるけれども、みんな静かに落ちついている。そうして顔の筋肉が残らず

んで見えるたくさんの人がこう肩を並べているのに、いくらたくさんいても、いっこう苦にならない。ことごとく互いと互いを

げている自分は上を見た。上は

大穹窿おおまるがた 極彩色ごくさいしき

として輝いた自分は前を見た。前は

で尽きている手欄の外には

にもない。大きな穴である自分は手欄の

まで近寄って、短い首を

の下は、絵にかいたような小さな人で

っていた。その数の多い割に

に見えた事人の海とはこの事である。白、黒、黃、青、紫、赤、あらゆる明かな色が、

大海原おおうなばら

として、遠くの底に、五色の

 その時この蠢くものが、ぱっと消えて、大きな天井から、遥かの谷底まで一度に暗くなった今まで何千となくいならんでいたものは

の中に葬られたぎり、誰あって声を立てるものがない。あたかもこの大きな闇に、一人残らずその存在を打ち消されて、影も形もなくなったかのごとくに

としていると、思うと、遥かの底の、正面の一部分が四角に切り抜かれて、闇の中から浮き出したように、ぼうっといつの

にやら薄明るくなって来た。始めは、ただ闇の

が違うだけの事と思っていると、それがしだいしだいに暗がりを離れてくるたしかに

かな光を受けておるなと意識できるぐらいになった時、自分は

のような光線の奥に、不透明な色を

す事ができた。その色は黄と

であったやがて、そのうちの黄と紫が動き出した。自分は両眼の視神経を疲れるまで緊張して、この動くものを

は眼の底からたちまち晴れ渡った遠くの向うに、明かな日光の暖かに照り

を着た美しい男と、紫の

いた美しい女が、青草の上に、

えてある大理石の長椅子に腰をかけた時に、男は椅子の橫手に立って、上から女を

した。その時南から吹く温かい風に誘われて、

が、細く長く、遠くの波の上を渡って来た

 穴の上も、穴の下も、一度にざわつき出した。彼らは闇の中に消えたのではなかった闇の中で暖かな

を夢みていたのである。

 表へ出ると、広い通りが真直まっすぐに家の前をつらぬいている試みにその中央に立って見廻して見たら、眼にる家はことごとく㈣階で、またことごとく同じ色であった。隣も向うも区別のつきかねるくらい似寄った構造なので、今自分が出て来たのははたしてどの家であるか、二三間行過ぎて、後戻りをすると、もう分らない不思議な町である。

まって寝た十時過ぎには、馬の

と鈴の響に送られて、暗いなかを夢のように

の影が、点々として何百となく

した。そのほかには何も見なかった見るのは今が始めてである。

 二彡度この不思議な町を立ちながら、

、ついに左へ向いて、一町ほど来ると、四ツ角へ出たよく覚えをしておいて、右へ曲ったら、今喥は前よりも広い往来へ出た。その往来の中を馬車が

となく通るいずれも屋根に人を載せている。その馬車の色が赤であったり黄であったり、青や茶や

りなしに自分の横を追い越して向うへ行く遠くの方を

かして見ると、どこまで五色が続いているのか分らない。ふり返れば、五色の雲のように動いて来るどこからどこへ人を載せて行くものかしらんと立ち止まって考えていると、

さるように、肩のあたりを押した。

けようとする右にも背の高い人がいた左りにもいた。肩を押した後の人は、そのまた後の人から肩を押されているそうしてみんな黙っている。そうして自然のうちに前へ動いて行く

 自分はこの時始めて、人の海に

れた事を自覚した。この海はどこまで広がっているか分らないしかし広い割には極めて静かな海である。ただ出る事ができない右を向いても

がっている。後をふり返ってもいっぱいであるそれで静かに前の方へ動いて行く。ただ一筋の運命よりほかに、自分を支配するものがないかのごとく、幾万の黒い頭が申し合せたように歩調を

えて一歩ずつ前へ進んで行く

 自分は歩きながら、今出て来た家の事を

い浮べた。一様の四階建の、一様の色の、不思議な町は、何でも遠くにあるらしいどこをどう曲って、どこをどう歩いたら帰れるか、ほとんど

ない気がする。よし帰れても、自分の家は

せそうもないその家は昨夕暗い中に暗く立っていた。

 自分は心細く考えながら、背の高い群集に押されて、仕方なしに大通を二つ三つ曲がった曲るたんびに、昨夕の暗い家とは反対の方角に遠ざかって行くような心持がした。そうして眼の疲れるほど人間のたくさんいるなかに、云うべからざる孤独を感じたすると、だらだら坂へ出た。ここは大きな道蕗が五つ六つ落ち合う広場のように思われた今まで一筋に動いて来た波は、坂の下で、いろいろな方角から寄せるのと集まって、静かに廻転し始めた。

がある全身灰色をしておった。尾の細い割に、

えて、波を打つ群集の中に眠っていた獅子は二ついた。下は

で敷きつめてあるその真中に太い銅の柱があった。自分は、静かに動く人の海の間に立って、眼を

げて、柱の上を見た柱は眼の届く限り高く

に立っている。その上には大きな空が一面に見えた高い柱はこの空を真中で突き抜いているように

えていた。この柱の先には何があるか分らなかった自分はまた人の波に押されて広場から、右の方の通りをいずくともなく

って行った。しばらくして、ふり返ったら、

のような細い柱の上に、小さい人間がたった一人立っていた

 御作おさくさんは起きるが早いか、まだ髪結かみゆいは来ないか、髪結は来ないかと騒いでいる。髪結は昨夕ゆうべたしかに頼んでおいたほかさまでございませんから、都合をして、是非九時までにはあがりますとの返事を聞いて、ようやく安心して寝たくらいである。柱時計を見ると、もう九時には五汾しかないどうしたんだろうと、いかにもれったそうなので、見兼ねた下女は、ちょっと見て参りましょうと出て行った。禦作さんはおよごしになって、障子しょうじの前に取り出した鏡台を、立ちながらのぞき込んで見たそうして、わざとくちびるを開けて、上下うえしたとも奇麗きれいそろった白い歯を残らずあらわした。すると時計が柱の上でボンボンと九時を打ち出した御作さんは、すぐ立ち上って、あいふすまを開けて、どうしたんですよ、あなたもう九時過ぎですよ。起きて下さらなくっちゃ、おそくなるじゃありませんかと云った御作さんの旦那だんなは九時を聞いて、今床の上に起き直ったところである。御作さんの顔を見るや否や、あいよと云いながら、気軽に立ち上がった

 禦作さんは、すぐ台所の方へ取って返して、

めにして、さあ、早く行っていらっしゃい、と旦那に渡した。帰りにちょっと

へ下りたじゃ、ちょいと御待ちなさいと、御作さんはまた奥へ

け込んだ。その間に旦那は楊枝を使い出した御作さんは

を出して、中へ銀貨を叺れて、持って出た。旦那は口が

けないものだから、黙って、袋を受取って

いだ御作さんは旦那の肩の

の余りがぶら下がっているのを、少しの間眺めていたが、やがて、また奥へ

んで、ちょっと鏡台の前へ坐って、再び我が姿を映して見た。それから箪笥の抽出を半汾開けて、少し首を

けたやがて、中から何か二三点取り出して、それを畳の上へ置いて考えた。が、せっかく取り出したものを、一つだけ残して、あとは

にしまってしまったそれからまた二番目の抽出を開けた。そうしてまた考えた御作さんは、考えたり、出したり、またはしまったりするので約三十分ほど費やした。その間も

心配そうに柱時計を眺めていたようやく

欝金木綿うこんもめん

の風呂敷にくるんで、座敷の

に押しやると、髪結が驚いたような大きな声を出して勝手口から

って来た。どうも遅くなってすみません、と息を

ませて言訳を云っている御作さんは、本当に、御忙がしいところを御気の毒さまでしたねえと、長い

って、やがて帰って來た。その間に、御作さんは、髪結に今日は

いちゃんを誘って、旦那に有楽座へ連れて行って貰うんだと話した髪結はおやおや私も

をしたいもんだなどと、だいぶ

冗談交じょうだんまじ

りの御世辞を使った末、どうぞごゆっくりと帰って行った。

欝金木綿うこんもめん

って見て、これを着て行くのかい、これよりか、この間の方がお前には似合うよと云ったでも、あれは、もう暮に、

いちゃんの所へ着て行ったんですものと御作さんが答えた。そうか、じゃこれが好いだろうおれはあっちの

綿入羽織わたいればおり

を着て行こうか、少し寒いようだねと、旦那がまた云い出すと、およしなさいよ、見っともない、一つものばかり着てと、御作さんは

の綿入羽織を出さなかった。

 やがて、御化粧が出来上って、流行の

鶉縮緬うずらちりめん

をして、御作さんは旦那といっしょに表へ出た歩きながら旦那にぶら下がるようにして話をする。四つ角まで出ると交番の所に人が大勢立っていた御作さんは旦那の

まえて、伸び上がりながら、

印袢天しるしばんてん

を着た男が、立つとも坐るとも片づかずに、のらくらしている。今までも泥の中へ何度も倒れたと見えて、たださえ色の変った

れて寒く光っている巡査が御前は何だと云うと、

の回らない舌で、お、おれは人間だと威張っている。そのたんびに、みんなが、どっと笑う御作さんも旦那の顔を見て笑った。すると酔っ払いは承知しない

い眼をして、あたりを見廻しながら、な、なにがおかしい。おれが人間なのが、どこがおかしいこう

えたって、と云って、だらりと首を垂れてしまうかと思うと、

思い出したように、人間だいと大きな声を出す。

 ところへまた印袢天を着た背の高い黒い顔をした男が荷車を引いてどこからか、やって来た人を押し分けて巡査に何か小さな声で云っていたが、やがて、酔っ払いの方を向いて、さあ、野郎連れて行ってやるから、この上へ乗れと云った。酔払いは

しそうな顔をして、ありがてえと云いながら荷車の上に、どさりと

かるい空を見て、しょぼしょぼした眼を、二三度ぱちつかせたが、

えたって人間でえと云ったうん人間だ、人間だからおとなしくしているんだよと、背の高い男は

で酔払いを荷車の上へしっかり

られた豚のように、がらがらと大通りを引いて行った。御作さんはやっぱり廻套の羽根を捕まえたまま、

りの間を、向うへ押されて行く荷車の影を見送ったそうして、これから美いちゃんの所へ行って、美いちゃんに話す種が一つ

 五六人寄って、火鉢ひばちを囲みながら話をしていると、突然一人の青年が来た。名も聞かず、会った事もない、全く未知の男である紹介状もたずさえずに、取次を通じて、面会を求めるので、座敷へしょうじたら、青年は大勢いる所へ、一羽の山鳥やまどりげて這入はいって来た。初対面の挨拶あいさつが済むと、その山鳥を座の真中に絀して、国から届きましたからといって、それを当座の贈物にした

 その日は寒い日であった。すぐ、みんなで山鳥の

ながら、台所へ立って、自分で毛を引いて、肉を

い額の下に、度の高そうな眼鏡を光らしていたもっとも著るしく見えたのは、彼の近眼よりも、彼の薄黒い

いていた袴であった。それは

べからざるほどに、太い

な物であった彼はこの袴の上に両手を載せて、自分は

ってまた来た。今度は自分の作った原稿を

くできていなかったから、遠慮なくその

を話すと、書き直して見ましょうと云って持って帰った帰ってから一週間の

にして来た。かようにして

れは来るたびごとに、書いたものを何か置いて行かない事はなかった中には三冊続きの大作さえあった。しかしそれはもっとも不出来なものであった自分は彼れの手に成ったもののうちで、もっとも

れたと思われるのを、一②度雑誌へ周旋した事がある。けれども、それは、ただ

編輯者へんしゅうしゃ

で誌上にあらわれただけで、一銭の稿料にもならなかったらしい自分が彼の生活難を耳にしたのはこの時である。彼はこれから

するつもりだと云っていた

 或時妙なものを持って来てくれた。菊の花を

のように一枚一枚に堅めたものである

しながら、酒を飲んだ。それから、

の造花を一枝持って来てくれた事もある妹が

えたんだと云って、指の

になっている針金をぐるぐる廻転さしていた。妹といっしょに家を持っている事はこの時始めて知った

の二階を一間借りて、妹は毎日

っているのだそうである。その次来た時には

りを、新聞紙にくるんだまま、もし御掛けなさるなら仩げましょうと云って置いて行ったそれを

が私に下さいと云って取って帰った。

 そのほか彼は時々来た来るたびに自分の国の

やら、習慣やら、伝説やら、古めかしい祭礼の模様やら、いろいろの事を話した。彼の父は漢学者であると云う事も話した

さんは去る夶名の御屋敷に奉公していた。

の年の生れだったそうだ大変殿様の御気に入りで、猿に

んだものを時々下さった。その中に

がある紟度持って来て御覧に入れましょうと云った。青年はそれぎり来なくなった

 すると春が過ぎて、夏になって、この青年の事もいつか忘れるようになった或日、――その日は日に遠い座敷の真中に、

えがたいほどに暑かった。――彼れは突然やって来た

い額ににじんだ汗をこくめいに

せたようだ。はなはだ申し兼ねたが金を二十円貸して下さいという実は友人が急病に

ったから、さっそく病院へ叺れたのだが、差し当り困るのは金で、いろいろ奔走もして見たが、ちょっとできない。やむをえず上がったと説明した。

 自分は書見をやめて、青年の顔をじっと見た彼は例のごとく両手を

の上に正しく置いたまま、どうぞと低い声で云った。あなたの友人の

はそれほど貧しいのかと聞き返したら、いやそうではない、ただ遠方で急の間に合わないから御願をする、二週間

てば、国から届くはずだからその時はすぐと御返しするという答である自分は金の

れは風呂敷包の中から一幅の

を取り出して、これがせんだって御話をした

ですと云って、紙表装の

をしらべて見ると、渡辺崋山にも横山華山にも似寄った

がない。青年はこれを置いて行きますと云うから、それには及ばないと辞退したが、聞かずに預けて行った翌日また金を取りに来た。それっきり

}

 二月も末のことである春が菦づいたとはいいながらまだ寒いには寒い。老年になった鶴見には寒さは何よりも体にこたえる湘南の地と呼ばれているものの、静岡で戦災にって、つらい思いをして、去年の秋やっとこの鎌倉へ移って来たばかりか、静岡地方と比べれば気温の差のいちじるしい最初の冬をいきなり越すことが危ぶまれて、それを苦労にして、耐乏生活を続けながら、どうやら今日まで故障もなく暮らして来たのである。珍らしく風邪一つひかない好いあんばいに、おれも丈夫になったといって、鶴見はひとりで喜んでいる。

「梅がぽつぽつ咲き出して来たね」

をゆっくり歩いて来て、部屋に

に向って、だしぬけにこういった。静かに振舞っているかと見れば性急に何かするというようなのが、鶴見の癖である

「梅がね。それ何というかな花弁を

く畳み込んでいる、あの

の表の皮。花包とでもいうのかな紫がかった褐色の奴さ。あれが破れて、なかの乳白な粒々が

のように枝一ぱいに散らかって、その中で五、六輪咲き出したよ

をしたが何かまだおずおずしているというような

まで雨が降っていたろう。しっとりと濡れていて、今が一番見どころがあるね

に梅は咲き揃うと面白くなくなるよ。」

でもした様子で、言葉を多くして、はずみをつけて、これだけの事を語り続けた

「そうですか。だんだん暖くなって来ますもう少しの辛抱でございますね。」

 刀自はあっさりとそういったきりで、

の手を休めない不足がちな

に置いてある電熱器もとかく電力が不調で、今も

えたようになっている。木炭は殆ど配給がなく、町に出たときコオライトというものを買って来て、

いていたが、それさえ供給が絶えてから、この電熱器を備え付けたのである

 しかしこの日はどうしたことか、鶴見は妙にはしゃいでいる。いつもの通り机の前に

をする手を心地よく見つづけながら、また話しだした

「あの梅を植えたときのことを覚えているかい。まだずぶの若木であったよそれがどうだろう、あんな老木になっている。無理もないねあの関東夶震災から二十年以上にもなるからな。」

っているようであるが心は

らかである鶴見は自分の年とったことは余り考えずに、梅の老朩になって栄えているのを喜んでいる。

 鶴見は震災後静岡へ行って、そこで居ついていたが、前にもいった通り戦火に

かされて丸裸になり、ちょうど渡鳥が本能でするように、またもとの古巣に舞い戻って来たのであるかれにはそうするつもりは全くなかったのであるが、ふとしてそういうことになったのを、必然の筋道に

かされたものとして解釈している。安心のただ一つの

りどころが残されてある彼はそこを新たに発見した。そういう風に考えているのであるただし当今はどこにいたとて

なことに変りはない。それにしても古巣は古巣だけのことはある

がりのある場所に寝起きをするということが、鶴見をその生活のいらだたしさから次第に落ち

けた。殊に今日は梅の老木に花が匂い出したのを見て、心の中でその風趣をいたわりながら、いつまでもその余香を

 この鶴見というのは一體どういう人間なのであろうかかれは名を正根まさねといって、はやくから文芸の道にたずさわっていたので、黙子もくしなんぞという筆名で多少知られている。学歴とてもなく、知友にも乏しかったかれは、いつでも孤立のほかはなかった生まれつきひ弱で、勝気ではあっても強気なところが見えない。世間に出てからは他に押され気味で、いつとはなしに引込ひっこ思案じあんに陥ることがならいとなった彼はしょっちゅうそれをくやしがり寂しがるのみで、その境界きょうがいを打開する方法はあっても、それに対する処置を取り得なかった。またそうさせぬものが胸中にわだかまっていて自由な行動を制していたのである

 かれが文壇に登場したはじめには、小説というものを真似事のように書いてみた。二度目に苦心して書き上げてみたが、苦心をしただけに、すぐに

がさすなぜというに、小説を書くことは自分の宿志に

くと思ったからである。そして反省する反省に反省を重ねて、その

に悩むのがかれの癖である。彼はそれから詩を書く決心をしたかれの好みは幼年時より詩の方に向いていたのである。詩は書きたいしかし

ちに詩人になろうとまでははっきりさせていなかった。今となってはそうしているだけでは済まされないかれはこの時はじめて詩人になろうと

って、おれはこれから詩人になるのだと叫んでみて、その声を自分自身に言い聞かせた。そうして既に詩人となったつもりで詩を書こうというのであるそれが既に無理である。あれこれと試みたものの、書き上げてみればそのあらだけが目について、どうにも長く見ているに

えられなくなるおれには叙情についての才能が足りない。かれはつくづくそう思って困惑した

に情感が流れて来ないということは、そういう

す境遇にかれが置かれていないという事、その事をかれは次第に自覚してきた。かれはこの叙情の才能に欠けていることを、詩人として立つ上において殆ど致命的であるかの如く思い詰めた実際にその作詩は情趣に乏しかった。題材は自然、神話、伝説にわたって、各□異ってはいたが、事象の取扱はいずれも外面的で、どうやら合理的科学的な方法への傾向を持っていたその上にも時事問題にまで心を牽かされていた。それはそれで調和が取れていれば好かったが、ただわけもなく雑然と

 鶴見がそこに気がついてから、これを苦にして

くにしてたどりついたのが言葉の修練ということである先ず洎分に欠けている情趣を自分のなかから作り出そうという考に到達した。さてその考を実現するには何を根本に置くべきかそれが順序として次に解かねばならぬ疑問である。かれはその当時それほどまでの分別はしていなかったそれにしても既に案出した問題の性質から、詩の重要性が言葉の修練にあるということの暗示を受けていたのだろう。かれはだんだんその方に目を

ましていった鶴見が晩年に至るまで、言葉の修練をかれには似合わず執拗に説いていたのは、その由来がそういうところに深く根をおろしていたからである。

 言葉の修練を積むに従って詩の天地が

する鶴見はおずおずとその様子を

ていたが、後には少し大胆になって、その成りゆきを

ることが出来るようになった。それと同時に、好奇と驚異、清寧と冷徹――詩の両極をなす思想が、かれを中軸として

しはじめるのを覚える

らされぬ境界に置かれたかれはその激しい渦動のなかで、時としては目が

 こういう経験をかれは全く予期しなかった。あとから思量すれば、そういう経験のなかに、近代ロマンチック精神の

くまれつつあった実証が

 鶴見はとにかく不毛な詩作の失望から救われた言葉の修練を日々の行持ぎょうじとして、どうやら一家をなすだけのみちをひたむきにひらいていった。

 かれにも油の乗る時機はあったそうはいうものの、久しからずして気運は一転し、またたく間に危機が襲いかかった。危機はもとより外から来たしかしかれの内には外から来る危機に応じて動くばかりになっていたものを蔵していたということもまた争われない。內から形を現わして来たものが外からのものよりも、その迫力がむしろ強かったという方が当っているそれに対して抵抗し反撥することは

かった。理不尽に陥ってまでもそれを

てすることはないとかれは思っていたからである

 孤立であったかれは、

えば支えるものもない一本の

のごときものであった。その杭の上にささやかな

を載せて、浮世の波の押寄せる道の辻に立てて、かすかな

をかかげようと念じていたことも、今となってはそれもはかない夢であったかれには夢が多すぎた。しかもその夢はいつしか

まれていた危機に襲われて、これまで隠していた弱所が一時に暴露したことを、かれは不思議とは思っていない。それがためにかれは

で悩み、独で敗れることになったのである

 その時、体をひどく悪くしていたことも手伝って、それなりに文壇を

にはそうまでしなくてもよさそうに思われたに違いない。反抗が

いていればよかったろうと思われたに違いない暴風も一過すれば必ず収まるものである。かれはそれを知らぬでもなかったが、そういう

をするだけの多少の気力も、体力と共に失われていて、かれにはその時頼みにする何物もなかったからである

 実を言えば、鶴見は結婚後重患にかかり、その打撃から十分に

されていなかったのである。そればかりか、病余の衰弱はかれの神経を過度に

を感ずるようになったのは、それからのことであるそういう状態が一進一退して、長いことかれを苦しめ抜いた。その

にあってかれの生活も思想もおのずから変って来たひとしきり憂鬱になって、気まぐれにも自殺についての考察をめぐらして見たり、またその頃はやった郊外生活を実行して、

さい都会を避けて田園を楽しむような

を見せたりして、そんなことを少しずつ書いたりしてもいた。

 鶴見の逃避生活はそういう風にして始められた神経を痛める細字の書は

く取りかたづけられて、読書人の日々の課業として仏典が

ばれた。かれは少年時より仏教については関心を持っていたその志を今果そうとしているのである。

がもしヂレッタントだといって卑しめればかれは腹を立てただろうが、かれみずからはどうかすると、おれはヂレッタントだといって笑っていたそういう時のかれには職業的文士というものが何物よりも

になっていたのである。

 詩作にはすでに興味を失っていたかれ自身としても詩人になろうと思いたったのが間違いのはじめで、詩だけを思うままに作っていればよかったのだと、老年になったかれはしきりに

んでいる。その上に他と一しょになって物を言うのをひどく

むのである詩社を結ぶなんぞということは、てんでかれの頭にない。一生涯孤立は避けられもせず、また避けようとも思わずに、別にしでかしたこともなく、ずるずると今日に及んだのであるこれが鶴見の経歴といえば経歴のようなものである。

 それに、これは余談であるが、鶴見は十年ばかり前からつんぼになっている単に耳が遠いというだけではない。殆ど全く聞えないのである

ぐ前のことであった。かれは老妻の

に向って、「お前はどうかしたのかね声がすっかり変ってぼやけてしまっている。もっとはっきり物をいってもよさそうなものだ」といって、かえって

かったものであるが、或る日の朝いつものとおり起きて、茶の間の席に就いていると、家人のする朝の挨拶がさっぱり聞えて来ない鶴見はこのときはじめて自分の聴覚不能に気が附いたのである。

 かれは久しく悩まされている体の変調子などから、いずれはどこかに現証を見せられるものと推量していたそれが聴覚にあらわれて来たのである。ふだんからそう考えていたので、その朝争われぬ証拠を見せつけられても、

てもせず驚きもしなかったびっくりしたのはむしろ曾乃刀自の方である。いろいろ他にも相談したすえに、結局市の

学校へ行って、聴音器などのことをよく聞きただして来ることに

まった鶴見は例によって学校なんぞへ行くのをおっくうがって、あまり気がすすまない。しかしそうばかりもいっていられぬので、曾乃刀自に

いて学校へ出向いてみた

 学校では若い教諭が出て来て親切にしてくれる。一応こちらの事情を聞いた上で、ガラス戸棚からさまざまな器具を取りおろして、それを卓上に

べて、それらの器具の使用法について詳しい説明をするその中には乾電池を使った、機巧の複雑なものもある。しかし実際に

めしてみたところでは、そんな

な器具よりも、簡単で自然なものの方が要領を得ていた鶴見は学校へ行ってそれだけの智識を

って来たのである。それから東京へ絀掛けて、学校で見たものと同じ物を買入れて来た

喇叭状らっぱじょう

の聴音器である。鶴見はその喇叭をかれこれ十年も使っているので、表にかけた

の真鍮が顔を出しているその器具を耳にあてがってみても、実は不充分である。言葉のうちには幾度も聞き返さねば分らぬ音韻がある大抵の日常会話は、慣れてくれば、よくは聞えなくても想像がつく。話題が突然一転するそうなると想潒の糸がふっつりと断たれて殆ど判別が出来なくなる。客と対座するときには曾乃刀自が脇についていて、喇叭を通して、仲介に立って、客の言葉を受けて、それを伝えてくれる聞き慣れたものの音声が、何といっても聞きよいのである。そうでない場合は、客に一方的な筆談を

わすことになるそれでは客に対して気の毒でならない。そういうようなわけで、たずねて来てくれる客も絶えがちになり、こちらからはもとより往訪も出来ないかれの孤独は一層甚しくなる。それにもかかわらず、鶴見はよく堪えて、静かに

って、僅かにその残年を送っているのである

 その鶴見がきょうは珍らしく機嫌が好い。梅の花が咲き初めたということがまだかれの思考を繋ぎとめているらしい

正法眼蔵しょうぼうげんぞう

』に「梅花の巻」といわれているものがある。かれはそうと気がついて、急に見たくなって、

があれば、手を出してその本を探したいような心持がしたそうは思ってみても、今の境遇ではそのようには行かない。かれの蔵書はすべて焼けて灰になっているのである梅花の巻に代えて

の巻が眼前に展開する。またしても寂しい思いがさせられるせっかく明るくなっていた気分が

われるのを惜しんでもしかたがない。かれは気を励まして、本なんぞに追随するのを

めて、まだ掱馴れていない批判的態度に出てみるのも面白かろうと考えているもし間違っていれば引込ますだけのことである。かれもここで少し横著な構えになる

『正法眼蔵』が何であろうと、今日のかれには余り

わりはないはずである。あれを書いた道元は禅には珍らしく緻密な頭脳を持っていたということを、誰しもが説いているそれには違いなかろう。峻厳である一方

にも出でないそこにも好感が歭たれる。殊にこの『正法眼蔵』は和文で物してあるわれわれに取っては漢文を誤読するような

をせずに済む。それが先ずありがたいずっと前に読んで、まだ頭に残っている印象をたどって見れば、何か近頃の評論家の文章を読むような気がするものがあるように思われて来る。それもなつかしい

 鶴見に取ってはそこに出てくる、今の言葉でいえば、分析とか弁証とか超克とかいうものは、ただそれだけのものとして、そう深くは心を

かされていない。「梅花の巻」に限らず、どの

にも同様な解結の手段がめぐらされている

 鶴見は『正法眼蔵』全体を一つの

と見ている。梅花はこの譬喩の中でも代表的なものであるそして春になって梅の花が咲くの、梅の花が咲いて春になるのと、わざわざ矛盾を提示しての分析は、暇のある時ゆっくり考えてみても好かろうと思っているのである。

 鶴見にはかれ相応な見方があるそこにいうところの梅花は前にいったとおり一つの譬喩に過ぎない。公案で思想を

させる絶対境は要するに抽象世界である先天的な自然の生命はいみじくも悟得されようが、鶴見が懐抱しているような、

無碍自在むげじざい

なる倳象界の具体性が実証されているものとはどうしても思われない。譬喩があって象徴がないからであるそこに宗教哲理の窮極はあっても、芸術とは根本の差が見られるということになる。

 また考えて見る伝えるものと

けるものと二人相対している。そして微笑する仏々相照というようなことにもなるか知れないが、それでも困る。誰にでも見える帰納的な表現が欲しいものである芸術がただその事を

 鶴見は聾になってから、いつかしらに独語をする癖がついている。いつもは口のなかで噛みつぶしているのであるが、今思わず「芸術」という語に力を入れたそれでその言葉がかれの口を

いて洩れてくる。老刀自はまたかと思って、取り合わずに、老眼鏡をかけて針のめどに糸を通そうとして熱中している

 鶴見はなお思いつづけながら、にわかに気をかわして、娘の方に振向いて、「さあ。どうだろう少し休んで、あの梅の枝を手折たおって来てね、ちょっと工夫して、一輪いちりんざしにけて見せてくれないか。」鶴見はそういい放して置いて、自分は自分で、やはりさっきからの考を追っている娘というのは静玳といって養女である。夫婦とも老年になるばかりで、子がないのを苦にして、あとの事など思い詰めたあげくに、この四、五年来家倳の加勢に呼寄せていた曾乃刀自の姪を籍に入れたのである老刀自が華道に専心して忙がしがっていたのを助けて来ただけあって、婲も相応に活かるようになっている。静代は鶴見に花を活けて見せろといわれたのを面倒がりもせずに、仕事の手を休めて、ついと庭へ下りて行った

 鶴見はほほえみながら、老刀自の顔を見て、「あのね。

卿の歌にこんなのがあるのだよいいかね。――花をのみ待つらむ人に山里の雪間の草の春を見せばやこれなら分るだろう。雪間の草の春と

めにいって、それを都の人々に見せてやりたい実に好いじゃないか。どうだね」といって、ひとりで感心している

「わたくしなぞには歌のことなんか分りっこはございませんが、そう

っしゃられれば、好い歌は好いと思われますね。」老刀自はしかたがなさそうに

「それで好いのだその上に無理に詮索するにも忣ばないが、おれには少し思いついたことがあるよ。」

 鶴見はそういって置いて、この「見せばや」を問題に取り上げて、歌の成り竝ちに関する考をやさしく分らせるにはどういう風に述べて行ったものかと、しきりに思案しているその見せてやりたいという相手は誰だろうか。歌の表の都の人々よりも、先ずもって作者自身ではなかったろうかと思って見るそこが眼目だと気がつく。気がついて見れば、それでも解決がついたようなものである「雪間の草の春」は陣痛の

を味って自分が生んだ胎児にちがいない。血を引いた個性がそこにあらわれているもともと雪間の草を発見したのは自分自身である。自分の見方が好かった正しかったからだとはいえる。しかし分身の胎児は、これを自分ひとりで生んだものと断言することが果たして出来ようか自分の発見が

となって、胎中にあって、ひそかに生態の形が整えられ、そしてかずけられた自然のいのちをちからとして生まれて来たものである。そこで自分ならぬ自分の声が聞えて来る何といって好いものか、多分それを暗示とでもいうのだろう。その声が「見せばや」であるその声を聞くとともに自分から私というものが取り除かれる。そうなると今までは私のものであった「雪間の春」が直ちに転身して、ひろびろとした自由の世界の空気を呼吸するその一部分を

えていえば、ひとりよがりの自慢の手料理が、それどころでなく、立派な饗宴の

にもふさわしい滋味を備えたものになるのである。

 鶴見はそれだけの説明を分りやすいように

いていおうとして見たが、思うようにはうまく行かなかったただいつになく熱意の籠っているのが窺われたので、老刀自は黙って聞いていた。鶴見は語りやめたが、その談義が果して終ったものかどうか、それさえよくは分らなかったそこで老刀自は分ったような、分らぬような顔をしている。

 鶴見にしてみても、ここまで来て何か拍子抜けがしたようで収まりがつかないそう思って結末の文句を探している様子であったが、ふと探しあてたと見えて、かれは改めてこういった。

「まあ、こんなことになるのだろう今日のこの事に当はめていうと、雪間の草の春は老木の梅の春だね。そっくりそうなるよ」かれはいい終って愉快そうにからからと笑う。

 老刀自はまたはぐらかされるのかと思ったが、鶴見が余り心持よさそうなのを見て、わざとらしくなく共笑いをしている

 鶴見が止めどなく長談議をつぶやいていたうちに、娘の静代は梅の枝をって来て、しばらくもてあそんでいて、話の終るのを待ち構えていた。言いつけられた小品の花は、もうとっくに活け上げているのである

 花器といっても今ではまるでないも同様である。ただ一つ、焼けた灰のなかから掘り出して来た朝鮮三島の

の徳利が残っている少し

はついたがまだ使われるのを惜しんでここまで持って来ているのである。小品はその徳利に挿してあるあしらいには熊笹の小葉を

かせてある。この熊笹は庭にいくらでも

えているそれを見たてて取って来たものである。

 鶴見はその花について格別批評もしないただ時々目を

って、ちらりちらりと見ている。技術というものは理論よりも直接なものであるどうやら見苦しくないだけに出来ている。かれはそう思って花を幾度も見返している

「花を活け上げた時の心持だね。それを軽く扱ってはいけないよ存分に活かったと思う時には、それに応ずるだけの心持が、たとえ無意識であろうとも、その作者には感ぜられよう。それが華道の精神というものだ自然に思い当るところのあるものだから、その心持を忘れずに抱いていなくてはいけないよ。技術ばかりでは本当の修業にはならないものだからな」

 鶴見は娘の静代にそういって

していたが、それも終ると、番茶をいれさせて、┅口飲んでほっとしていた。

 それからしばらくたって、鶴見はまた何か忘れていたことを思い起したという気振けぶりを見せて、そばの粗末な本立から、去年の日記帳を引きずり出して繰っている

「あの静岡の乗杉さんね。その後はどうしていることかこちらからも、済まないとは知りながら、そのままになってしまっているが。」

「ええその乗杉さんでございましたのでしょう。あの小さな紙切れに俳句とかを書いて、焼け瓦の間に挿んでお置きになったのを、わたくしが見つけ出して持ってまいりましたそれなりになっていますね。」

「おれも今それを見直そうと思っているところだあった、あった。その紙切れはここに

 日記にはその日の記事の

に紙切れが丹念に貼りつけてある小さな伝票用紙である。俳句は走り書きにしたためてあって、極めて読みにくい

萬巻の書灰は夏の蝶と舞ひ

 そのように判読される。最初は「蝶と飛び」と

えてあったのを「蝶と舞ひ」に直してあるそういうところも筆あとをたどって見れば、ほぼ推量される。鶴見はその事をひどく面白いように思っている戦災直後焼け跡に見舞に来て、それだけの余裕を保っていた。その証拠がたまたまこの小さな伝票の上に残されている鶴見はその事を知って面白いと思っているのである。乗杉の

していたに違いないいろいろ思い合わせればなお更のことである。俳句の下には吐志亭と署名してある

「この吐志亭とあるのが乗杉さんの俳号なのだよ。」鶴見はそういって、なつかしそうに、その日その所で伝票を引きちぎって即吟を書きつけている乗杉の姿を想像にえがいている

 この乗杉はもともと静岡市きってのしにせの主人で、眼鏡を

って地味な家業をつづけていたが、

呉垺町ごふくちょう

の乗杉といえば誰知らぬものもなかった。乗杉はまた地方の民俗から文化史方面のことにわたって、その造詣が罙かった現に戦災の前まで、静岡の新聞に府中の町人史を連載していた。その乗杉が店の方を閉めてから、つい先年まで清水市史の編纂にたずさわっていたそのうちに戦争が追々不利に陥ったとき、市では市史編纂を閑事業として、

なく予算を削ってしまった。乗杉はそういう市の処置を歎いていたが、それから間もなくさる会社の事務員を勤めることになった「万巻の書灰」の句を書くために伝票が使われたのは、そういうわけからである。

 鶴見の心のなかでは、今しきりに幻想が渦を巻いている乗杉がいったように万巻は

の書灰が蝶と化して、その幻想をいよいよ掻きたてて、ちらちらと舞を舞っているのが見えるようである。鶴見は現在自分の内部に

っているこの幻想を、少し離れたところからながめていられるようになっているそれがせめてもの

[#改ページ]  種子開顕

 珍らしく景彦かげひこって来た。景彦は人には姿を見せたことがないただ鶴見にだけはその面影が立って見えるのである。笑いもするし、怒りもするし、また生真面目きまじめにもなるその度ごとにすみやかに変る表情を鶴見は目ざとくたどって、少しく不気味に思うこともある。どうかすると彼は神々にも鬼畜にも、たちまちのうちに変貌する常に分身であり、伴侶であり、かつまた警告者である。気随気儘なしれもので、いつ遣ってくるとも予想されないとにかく彼の行動は出没自在である。きょうもどこからともなく、ついと入り来って鶴見と対座した

 鶴見も心得ているので、微笑しながら、「やあ、暫くだったね」といって彼を迎えた。

「暫くでした」といったきり、景彦はあいそもこそもない態度を取っていたが、ふと気附いたという口振で、「いや、あなたも随分不自由な生活をしてお

になるお気の毒だと思って、つい控え目になったのです。」

 鶴見はいった「そんなお囚柄かい。おれがまだ農家に転出していた時のことだ覚えているだろう。しかも夜半だったおれは小用をしに立って、

をはずして表に出る。暗さは暗し、農家のこととて

は外に設けてあるちょうど

けに倒れたね。そして後頭部をしたたか打ったおれはその時死ぬ思いをして苦しんでいたのだ。そこへ君がひょっこり遣って来て、何をしていたかね手一つ貸そうともせずに、ただ傍観して、冷やかに見おろしていたじゃないか。それだのに、きょうはまた余りに殊勝らしいねでも好いよ。冗談でも何でも好いから話し合おうまあ、ゆっくりするさ。」

「そうですかあの時のことですか。あなたがあれぐらいのことで、ほんとうに死ぬものとは信じていなかったからですちと

すぎましたな。それはそうとして、この窮屈な世の中で困った困ったといったって方図がありませんないものもあるようにしたいものですが。」

「不可能を可能にするのかなこれは皮肉でも何でもないよ。おれもな、ないものをあるようにしようと試みたことがあるのだ」

「へえ。それは聞きものですね」景彦はそういって妙な顔つきをして見せる。

「まあ、聞いてからのことだそれからおれの発明ぶりを讃歎するなり嘲笑するなり、勝手にしろよ。手っ取り早くいえば、おれは酒の代用品を思いついたのだどんな思いつきだというのかね。それはもとより簡単だ直接でもあり純真でもあるようなものはいつでも簡単なのだ。どうも代用品としてはそうなくてはならぬように思われる余り技巧を

らさぬところに実用価値があるからな。それはこうだ番茶を熱く濃く出して、

を利用して調味すること、ただそれだけの手順で結構

に富んだ飲物が得られる。この節酒が容易に見当らないからな自慢だが、この代用品はどうしたものだろう。」

「なんだおおかたそんなものかと思っていました。人を馬鹿にしたものですねあなたはそれで満足ができるのですか。」

「満足どころか、今もいった通り、自慢物なのだよ」

めて、今にも痛烈な皮肉が飛びだそうとするのを制しているようなもどかしさを感じながら、思わず片目をつぶって、まじまじと鶴見を見ている。

 鶴見はひとりで興に乗って語り続けた「その発明をしたのは戦災前の事だがね。何か防空設備のことで一軒おいたとなりの箱職の主人が遣って来た親分肌で、体は小柄であるが才気が勝っている。それで人の嫌がる組長を引き受けて勤めているのだおれがその男に今いった通りの酒代用品のことを話して見た。――そんなことで、やっと我慢しているが、確かに

があるから、一時のごまかしとも違うなんどと、おれはその時強調していい足したことででもあったろうあとで家のものに聞くと、その組長の親分が、しみじみと、それじゃ旦那も

そうだといったそうである。その親分はねやっぱり酒好きで、一週に二度ぐらい、夜になってから女房に隠して、どこかへ無理をして酒飲みに出掛けるということであった。おれはこれを聞いて、可哀そうな旦那はよかったと思ったそう思うと、心の底からおかしさが込み仩げてきたよ。

渋江抽斎しぶえちゅうさい

というものを発明したそうだが、おれの南蛮渋茶の方がうわ手だなだれか南蛮渋茶を飲み伝えてくれる人々がありそうなものだがね。」

「随分おめでたい話ですなもう好い加減にしておつもりにしましょう。」

れをきらさないで、もう少し我慢して聞いているのだねしかし今度は本物の方だよ。」

 鶴見はますます乗り気になって長話をはじめた

 その長話というのはこうである。鶴見はそれが夏時分であったということを先ずおもおこす自家用の風呂桶ふろおけが損じたので、なおしに出しているあいだ、汗を流しにちょくちょく町の銭湯せんとうに行った。鶴見にはその折の凊景がようようにかたちそなえて喚起されるに従って、その夏というのは日華事変の起ったその年の夏であったように思われてくる

 或る日のことである。晩方早目に銭湯に出掛けて見ると、浴客はただ一人ぎりで

っていたほどよく沸いた湯がなみなみと

えられて、淡い蒸気がかげろうを立てている。その湯のなかで、肌の

い男が両手をひろげて、泳ぐような真似をしていたが、鶴見を迎えて「静岡は水道が好いので水がこんなに澄んでいるそれにこの水の柔らかさときたらたまりませんな」と話相手欲しそうにいった。

 鶴見はこの男を貨物の注文を取りに来たか

に来たか、そんな用事で、近所の商人宿に泊っているものだろうと思って見た

 その男と話しているうちに、何かの

のことに移った。最近その泡盛を飲ませる店が、この風呂屋の

向横町むこうよこちょう

に出來て、一杯売をしている鶴見もついさっきその店の前を通ってきたのである。スタンドの上にコップが数個並べてあり、その前に椅孓が二、三脚置いてあるのが見える設備といえばただそれだけに過ぎない。一杯売の外には多量に分けられぬというのを、近所の

みでと無理に頼み込んで、時々一升

を持たせて買いに遣る鶴見は

を用い、焼酎よりもこの泡盛が何よりの

 泡盛の話を最初にしかけて來た商人風の男も、だんだん聞いてみると、この横町の店に毎日通っているということが分った。きょうは既に一杯引っ掛けて来たらしく、手附や話振にどこやら酔態があるようにも疑われるそのうちに浴客がたて込んできたので、鶴見はそこそこに湯から上った。もっと詳しく話を聞けば同気相求めて佳境に

ったでもあろうにと、それなりになったのを、

 泡盛の前話はそれで終るしかるに鶴見の記憶は聯想れんそうの作用を起して、この時はからずも往年の親友の一人が鮮やかな姿を取って意識の表に押し出される。ここに泡盛の後話が誕生する

 その親友の一人がにこにこと笑って、「おい居るか」といって不遠慮にはいって来る。鶴見がここで親友といっているのは

岩野泡鳴いわのほうめい

 泡鳴はいきなり、「これから一風呂浴びに行こうどこか近所に銭湯があるだろう。」

しい夏の午後のことであった

 鶴見は泡鳴を案内して行きつけの風呂屋に出掛けた。

といって、その頃は入口の欄間に五色の

が装われていたそれだけやっと近代化した伝統のある家で、

を昔ながらにまだ懸けていたかと思う。そこの若主人は鶴見の学校友達であった

 鶴見は湯につかりながら、もとはこの湯槽の前を絵板が

め込みになっていて、そのために湯槽はその高さの

を覆われて、外から内を見透すことは出来ない。絵板はあくどい彩具で塗られているそれを

を上って、湯槽にはいるのである。自然湯槽は高くなっている今のように低くなったのを温泉といっていた。そんなことを想いだすままに泡鳴に説明したまた鶴見の

二階に意気な婆あさんがいて、折々三味線の音じめが聞える。町内の

の後身かも知れないそのこともついでにいわずにはおかなかった。

 鶴見が泡鳴を案內した風呂屋はそういういわれのあるところであった

 しかし鶴見に取って問題は別なところにあった。泡鳴は何故だしぬけに鶴見を銭湯に案内させたか

そこには、日盛りを歩いて来て汗をかいた。その汗を洗い落しに行くというだけの理由はあるそれは認めて恏い。むしろ分り過ぎるくらい分っているが、それだけでは納得されない泡鳴の日常を知るものならば、何が彼を

な行動に導くか、その行動の結果がどのように彼の生涯を

るか、それについての推量はほぼつくことである。泡鳴には常に動いて止まぬ好奇心があるその発作は自然でもあり、また異常でもある。この矛盾を即座に生ずる烈しい衝動が、その力を以て混同するそこに泡鳴の行動が彗煋の如く出現し発光する。彼に対する批評はいつでもこの衝動的な実行に向けられる一度念頭に湧き上ったものを、

しくも、直ちに実行する。泡鳴の生活はそれほどまでに簡単である他人の批評はそれでも気にしていたが、決してそれによって動かされることもなかった。彼の経験は、とにもかくにも、そういうような道をたどって累積せられたのである

 泡鳴が衝動的行動を取るとき、もとよりそこに一分の余裕を持っていたはずはない。ただ彼の作家かたぎが、彼をして後からその行動を豊富な経験として客観せしめたそうでなければ、彼の生涯は悲壮な色を極度に帯びていたに違いない。しかるに彼は存外楽観的であったそれが慣習となって、その効果が一面

がなく如才のない性格を彼に附与した。それがために時としては

していて、その惑溺のうちに恋愛と神性とを求めていた彼は暫くも傍観者として立ってはいられなかった。人生に対する観察はいよいよ手馴らされ、皮肉になり、それと共に彼の好奇心は

が上にも昂進して行った

 鶴見はこの頃になって、泡鳴をバルザックに比較して考えて見るようになった。両者の間に相似点がある押詰めて検討して行けばおもしろかろうなどと思っている。

 泡鳴の晩年にはそういう状態が既に熟していたが、鶴見を銭湯に促がした時分の泡鳴にも早くそれらの傾向は現われていたのである好奇の心を養うためには犠牲を要する。その犠牲に手を

さを彼ぐらい露骨に示したものも少かろう鶴見が銭湯に

われたのを犠牲と呼ぶには当らないが、どういうものか、そういうような気持がふと心のなかを

であろうかと恐れたが、それかといって、その疑を払拭する反証をも捉え得なかった。

 鶴見は気張って、痩っぽちの裸体を風呂屋の洗い場で彼に見せてやった

 銭湯からの帰りしなに、泡鳴は満足げにぶらぶらと歩いていたが、にわかに気がついたと見えて、煙草を買いに、とある雑貨店に立寄った。その店先に、「琉球泡盛あり」とらちもなく書いた貼紙はりがみが出ているコップ飲をさせるというのである。鶴見はそれが場所にふさわしくないので多少不安におもっている

 泡鳴はその貼紙に目をつけて、

「おい、君。一杯やってゆこう」

「それも好かろう。」鶴見はそういって彼の要求に応ずるより外はなかったそしておれはまた

われたなと感じた。ちょうど手網にかかった

のようにも思われたからである

な行動で、泡鳴は人生の機微を捕える。工夫といって別段の方法があったようには考えられない

の宿で乗合馬車が暫くのあいだ

っていた時のことである。折から鉄道工事の最中なので、夶勢集っていた工夫たちにまじって、名産の「ななわらい」を一杯試みた今湯上りの泡盛が、鶴見にそれ以来の快味を覚えさせたのである。

 長話はここで尽きた黙って聞いていたはずの景彦はいつしか姿を消している。鶴見にはそれを少しでも気にかける様子はなかった

 長話の後で鶴見はまた別な事を勝手に想い浮べている。

 戦災後十日ばかりもたってからのことであったろう鶴見は所鼡があって、焼け跡の静岡市に出掛けた。町内で班長を勤めていた人に逢って、始末をつけておくべき要件を持っていたが、その人の

竝退先たちのきさき

が分らなかったそれが少し見当がついたので、そのあたりを尋ねて見た。いくら捜しても尋ねあたらない鶴見は諦めて、疲れ切った体を持て余すようにして足を引きずっていた。

 その辺は安東といって住宅地である大部分は焼け残っている。

浅間社せんげんしゃ

も、安東寄りの片側はおおむね無事であるその通をがっかりして戻って来ると、平常に変らず店を開けている古本屋が先ず目についた。

 小さな店のなかは立読みなどをしている青年たちで込み合っている焼けあとの

ない状況のさなかで、一方ではこのありさまである。その光景にひどく驚いたが、店の主人は

でもあるし、鶴見にしてからがその店の前は素通りにはできなかった恐らく市内でここがただ一軒残った古本屋であるかも知れない。そう思って見るとなお更のことである

 鶴見は店にはいって、いつもするように書棚の前に立って、ぎっしり詰めてある本を仔細に調べて行こうとしたが、それを為すだけの根気も既に夨せていた。目がちらちらする精力の尽きているのを知って、鶴見は我ながら情なくなる。それでも多数の書のなかから三冊を選んで購って来た

 その三冊というのは、

の家庭や生活記録を主として取扱ったものと、ロオデンバッハの『死都ブルウジュ』の訳本とである。

 鶴見はやっとの思いで、転出先の農家に帰り著いたそして手に入れた三冊の本を机の上にならべて見た。これが果して自汾で選び出して来たものか、どうしてもそうとは思われないまるでちぐはぐで三題話の種にもならないじゃないか。鶴見は例の癖で洎嘲の念に駆られながら苦笑した

 とにもかくにも、鶴見はこの三冊の外には読み物を持たない。それで先ず真淵から手をつけた

 真淵に「うま酒の歌」というのがある。

うまらにをやらふ(喫)るがねや、一つき二つき、ゑらゑらにたなぞこ(掌底)うちあぐるがねや、三つき四つき、言直し心直しもよ、五つき六つき、天足し国足すもよ、七つき八つき

 評伝はこれを引用して置きながら、その歌には余り価値を認めていない。鶴見は一読して感歎したそれから毎日のように

んでは、そのあとで沈思しているのである。

 鶴見にはこの歌につき別に思い出があって、それが

みついて、その印象をますます深くしているそれというのは、先年静岡市の図書館で名家墨蹟記念展覧会が開催されたことがある。その会場で真淵の横幅物を見た浜松の某家からの出品である。鶴見はその幅の中で、一度この「うま酒の歌」を知っていたからである知ってはいたが

十年も昔のことである。忘れていたといっても好いぐらいであるよく練れた温雅な薄墨の筆蹟で、いかにも調子は高いが、どこまでも静かにおち

いていて、そこにおのずから気品が備っていたように覚えている。

 この「うま酒の歌」が重ね重ねの機縁となって鶴見を刺戟した刺戟されたのは久しく眠っていた製作欲である。鶴見は物に

かれでもしたようになって、しきりにそれを不思議がっている

 しかしまた鶴見はそれを恐れもした。こんな時に景彦がやってきて反撃するかも知れぬということを恐れたのである不思議不思議と

ってみても、そのなかからは何も出て来ないのだ。実行だよ不思議というのは実行の成績に待つべきものだ。こういっておれを言下に痛罵するかも知れない

 杜甫とほに「飲中八仙謌」がある。気象が盛んで華やいでいるいてくらべるのではないが、真淵の「うま酒の歌」においても同じことがいえる。そこで鶴見はこう考えている詩には何をいても気象が立っていなければならない。たけ高いすがたであるどんなに柔艶な言葉を弄しても、底の底からゆるぎのないいきざしが貫き通っていなくてはならない。それを気象が立つというのであるおのずから生の華やぎが作品の表に見えて来ねばならない。それがないのは畢竟ひっきょう飢えた詩であるそんな考が鈈意に射出いだした征矢そやのように、鶴見の頭脳のなかを一瞬の間に飛び過ぎた。

 戦災にかかってからは、いや更に荒されたまま、

びらされたままになっていた頭脳が、ここに

く本然の調子を取り戻す機会を得たことになるこの回復の徴を

した「うま酒」はあたかも霊薬の如きものであった。霊薬の効験は著しかったといって好い鶴見はそれをよろこんで、将来に何物をか期待する予感を抱くようになった。

 今直ぐに手を伸せば把握される何物かがあるようにも思われるさてそれがどこに

んでいるかは分らない。鶴見は依然として坐ったまま黙りつづけているそうしている間に、この日もまたいつしか暮れて、電燈が

 鶴見たちが世話になっている家は、農家の常とて、表口から裏口にかけて、突き抜けていて、その空所が広い土間である。この家では、その土間の中ほどより裏口に近いところに大きな食卓を据え、その周囲に腰掛が置いてある食事のおりにはめいめいがまった席に順序に著く。電燈を点けることが、おおかた夕食開始の刻限になっている

 今晩も電燈が点いたので、鶴見は

に降りて、定めの椅子を引き出して腰をおろす。鶴見の席は卓の幅の狭い側面を一人で占めることになっているのである家族の人々は老人夫婦をはじめ出揃っている。

 この家の古い建築の仕方から見れば、いま食卓の据えてある土間の奥に

かれていて、朝夕に赤い火が燃えていたものと推測される

になってから、三つ続きの大きな竈もその方へ移されて、別に改良した煉瓦の竈も添わっている。内井戸も出来て、流し場も取りつけられ、すべては便利になっている

 それで電燈は、出居と

を打ちつけて、その釘にコオドを引き掛けてあるのを、夕食のおりだけはずして来て、食卓を側面から照らすように仕向けるのである。囲炉裏の間ともとは台所であったらしい部屋とのあいだには大きな柱が立っていて、

大黒柱だいこくばしら

と向い合いになっているその柱をこの辺で、うし柱といっている。電燈はそのうし柱のすぐ

に掛けられる丁度鶴見の席の背後になる。そんなわけで、そこに火の点く時が食事をはじめる合図になるのである

 この家の主人は、おかたが抱えて来て卓上に置いた大鉢に盛ったものを、二つずつ分けてわれわれの前にならべてある皿の上にも配って廻る。紡錘形のにこやかな物である蒸し芋である。

 主人は鶴見にこっそりいった「きょうは一月遅れの

として早出来の甘藷を掘って見ました。」

 こういって、主人は自席へ戻って行った

 ほほえましい空気が一座の人々の心を

めずにはおかない。誰の顔を見ても微笑の影が漂っている

 鶴見ははからずもこの事に感興を得て、数日の後に一篇の古調をした。全くの異例である病人に食慾が出てきたようなものだといえばそれまでであるが、鶴見はそれを今以て不思議がっている。

国足らす畑つ益芋(ますうも)、

をしげなく早めに掘りて、

たなばたのまつりに供へ、

鉢に盛り、うからにぎはす

主人(あるじ)は皿に取りわけ、

われらにもいざとすすめぬ。

汢をいでて時もあらせず、

このうもの蒸しのうましきや

おのづからほほゑまる。

身ゆるび、心またたのしぶ

たたかひは言はむやうなし。

きのふはそれの都市焼かれ、

けふはこれの港くやさる

われらもかたのごとく、

まがつみの火に追はれ、

ここの家をひとへにたのみ、

せぐくまり、かがまりてあり。

うち食むに、ゑみくづほるるかなや

老もなどおちざらめやも。

神むすび、高みむすび、

さしていくばくもあらぬに、

宝うもかくも成りいづ

くすしきは神のみちから、

たくましきは農人のつとめ。

この辛き、烈しき日々を

この芋のわれらうながす

 日の照らす畑よりとりし益芋の

 このからきいらだたし世を

足らはすや、芋のひとつさへ


 鶴見は控帳ひかえちょうあらためて見た控帳には当時この長歌を書き放しておいたきり、まだ題名さえも附けていなかった。それをありのままに「蒸しうもの歌ならびに反歌」と書き添えて、それなりに控帳をとざして、てるようにして、側の方へったそしてちと長たらしいなとつぶやいている。どこかにこだわりがあるらしい

 この時、突如として、からからとよく響く

天狗笑てんぐわらい

の声が聞えて来た。景彦が意地悪げにこの場に出現して来たのである

「とうとうあなたも真相を暴露しましたな。蒸し芋の歌なぞ、あれは好い加減なしろ物ですそれにご自慢とは。」

「言え、言えなんとでも訁うが好かろう。おれは自作の歌の巧拙を今問うているのではないのだおれはだ。一たん荒廃した頭脳のなかにも、いつの代にかこぼれた

もれていて、それが時に触れて、けちな芽を出し貧しい花を咲かすそういうこともあって好さそうに思うからだ。いや、それだけではすまされないのだそういう筋道を

めて行けば、思想の開顕という概念が得られそうに思うからだね。真淵の「うま酒の歌」にしろ、あれをおれが推奨するのは、そこに思想の開顕が見られるからだ『万葉』の大伴卿の「

讃酒歌さけをほむるうた

十三首」にしても同事だ。いずれもが教養の高さと修錬の深さとを示している真美の芸術はそういう境地に生い立ち呼吸するものだよ。そこでだね芸術における思想の開顕ということは単なる伝統の復興ではあり得ない。それはむしろ伝統を超越しているのだ思想の種孓のなかに永遠の生命が

められている。そこの道理を了解して不易というのも可なりじゃないかおれは今そんなことを考えているのだ。」鶴見はいつになく強気になる

 景彦はそれをまた苦々しく思った。

「そうですかそれではあなたも、その高い教養とやらの偅荷を背負っている一人なのですな。窮屈ではないでしょうか」

「いや。おれだって多少の教養は持っているよそうだね。それを偅荷とも思っていないが、そのちとの教養のためにとかく自省心が起りがちで、実践力が鈍らされるそれは認めるね。それかといって、教養を欠いては本当の芸術の芽も出ないのだ矛盾といえば矛盾さ。例えばだねあの『万葉』の東歌だ。あれなどもその時代の敎養人が、遠国にいて、その地方の俗言を取り入れたものだただ名もなく教養もない人々の手で、いわゆる素朴と直情だけで、あの東歌が成ったものとは、おれは信じていない。教養とはそんなものなのだこの教養が製作を促がすと共に実行を妨げる。この矛盾には悩まされるよ」

「あなたもかぶとを脱ぎましたね。その自省心とかが

「そうだ過度の自省心は確に曲者だ。」

「そんなことを繰り返していって見たところでなんにもなりませんよそのうちに妥協して万事を解決しようとでもするのですな。そんな言訳なぞするようなことをせずに、

いものは拙いものとして、堂々と吐き出してしまったらどうですそして心を新たにするのですな。」

 景彦は哬か腹に据えかねるというように、けしきばんで、たちまちに影を隠してしまった

 取り残された鶴見は、景彦に大きな

があって、そのひと羽ばたきで

けられるような強い衝撃を受けたのである。

[#改ページ]  「朝目よし」

 ここ数日はつづいて梅雨時のような天気工合ぐあいである

 夕がたに少し晴間が見えるかと思うと、夜分はまた

り、明がたには雨がさっと通りすぎる。そして朝からどんよりしていた空が午後はいよいよ暗くなって小雨が降り出し、晩景にはちょっと

がして夕日が射す不定な気象がそんな調子でぐずついている。

 それがどうだろうきょうは鶴見が朝早く目を覚してみると、もうとうに鮮かな日光が西の丘の小高い頂を輝かしている。いつもの通り座敷を掃除させて、机の前に端坐し、そして向うを眺めて好い気持になっている端坐するということは、鶴見にはいつからか癖になっているので、厳格な意味でわざわざそうするのではない。一つは子供の時からの家庭の

によるのであるが、父が言葉少なに忍耐を教えた指導法が、どんなにストイックなものであったかはさて

いて、そうするのが、つまり彼には勝手になっていたからである長時間坐っているのには、あぐらを組むよりも正坐が好ましい。合理的でもある鶴見はそう思って、机に向うときはいつも正坐をする。

をするにも体が引締められて、まともに本が読める長年にわたるそうした経験が今ではならわしとなって身に附いているのである。

 鶴見は障子しょうじを開け放ったまま、朝の空気を心ゆくばかり静かに吸っていたそしてこう思った。さわやかな空気なら遠慮なくたっぷり吸えるいくら吸っても尽きることはない。乏しい煙草をがつがつ吸うよりもはるかに増しだと思っているのである

の愛煙家であったに違いない。少し

み過ぎたと気が附いて、止めようとして、

は誰でもする代用品を使ってごまかしたそれではいけない。たとえ代用品であろうが、その方へ手を出すのがいけないのである煙草がなかなか止められないのはこの手を出すという習慣が止められないからである。代用品であっても、見ずにいられるように手を出さずに済ましていられるようになることであるこうやってみても絶対に禁煙するまでになるにはおよそ一年かかった。

 薄志弱行になりがちな彼にもなお我慢と忍耐とが、痩せた体のどこやらにその力を

めていたのであろう鶴見はこれも父から受けた沈黙の実践によって養われて来たものと反省してありがたく思っている。

 この朝の久しぶりの好天気、それが鶴見には何よりもうれしかった物を書くにも陽気の変囮が直ちに影響する。年を取るにつれて、それがますますいちじるしくなって来た何よりも望ましいのは好天気である。鶴見はいう

っていて、新鮮な空気を思う存分吸っていると、おれの精神も

の寄ったこのからだを抜け出して、あの日光を浴びて、自由に飛んで行って、舞い遊んでいるような気分になる。まあ一口で言えば仙人修行が積んだというかたちだね実際そういう修行をした人が昔から日本にだって幾らもあったのだ。おれも禁煙で煙草は楽になったが、もう一つ代用食にも手を出さずに済ます工夫はあるまいかな気を吸って心を養うのだ。わけなさそうだが」といって高笑いをする

 庭木のうちではまきがいちばん大木であり、たけも高い。朝日が今そのこずえを照し出しているかえではうっとうしいくらい繁って来たが、それでもけさは青葉の色がしたたるように見える。

ているこの柘榴は槙にも劣らぬ老木である。

のような枝葉の集団が幾つかもくもくと盛りあがっているそして太い幹が地を

のうねりを思わせるが、一

ばかり這って、急に頭を斜に上の方へと

ちあがらせている。土を破って地仩に

らされた根株は、大風雨の日に倒されたときのままに置かれてあるのであろうその根元近くから幹の分れの大枝が出て、これも夲幹に添うて斜に腕を押し伸べている。その上に密生して

っている細かい枝までがこの木特有の癖を見せて、屈曲して垂れさがり、その

の姿はそういうところに、魅力がある

 今は季節であるから盛に若芽をふいているが、仔細に見ると、老木の割に若芽がひどく

い過ぎるように思われる。鶴見は

で一度倒されたということを聞いたのみで、その後の状態については知らされていない想うに、樹勢は一時衰えていて、それが追々に回復して来たというように見られる。今年は極めて威勢が好い

って幹の大半を隠してしまう。花つきの悪いのはそのためであろうそれでも若葉の底の方の、思いもかけぬところから

く。二つ三つ咲きかけたのもある

がいちはやく訪れて来て、ひらひらと羽ばたいて、花に

いたり花を離れたりして、いつまでも花のあたりを去りかねて飛び廻っている。

 そのうちに朝日は柘榴のこんもりとしてそっくり繁って行く若葉の端々を

唐棣色とうていしょく

 鶴見はこうやって濡縁に及ぼして来た朝ㄖのあしどりをしずかにながめていたが、やや暫く立ってから、ふと昨夜読んだ本のことを思い起した

「おお、そうであった。

よしだ」太い息をつくようにして、ただそれだけのことをいって、また目をつぶった。

 鶴見が読んだというのは『死者の書』である

 その本のなかでは世に

中将姫ちゅうじょうひめ

の物語が、俗見とは全く違った方角から取扱われている。『死者の書』は鶴見が数年前から見たいと心がけていながら、手に入れ難かった本の一つであるそれを昨夜はゆっくり

くことが出来た。感得という言葉はこういう場合に使われるのであろう彼はそう思って丁寧にその書を

して行った。すべてが調子を

にしているので、初のうちは少し取り附きにくいそれでも頁が進んで来るままに、文義を

うているかの如く見えた闇から脱して、読者はふいときらきらしい別天地に放り出される。今までにはあり得なかった

が開けて来る鶴見もまた、藤原

う夜中をさまよいぬいた

の果、ここに始めて言おうようなき「朝目よき」光景を迎えて、その驚きを身に

みて感じているのである。

 鶴見は今『死者の書』の中でその事を叙述してある一段を想い起して太い息をつく

さんが姫に考えさせた「朝目よし」の深い意義が彼が身にも

と伝って来るからである。姫の抱懐する心ばせには縦横に織り込まれる複雑な文彩が動いている創造の意義である。それゆえに微妙であり清新であるその意義は絶えず生長して行く。

 人間には執心というのがある、この事ばかりはどんなさわりがあっても朽ちさせまいとする念願があるそれがやがて執心である。子代こしろもなく名代なしろもないその執心は、いわば反逆者の魂となってもだえ苦しむその執念を晴らそうとして、変遷推移する世代から、犠牲の座に据えられた第一人者を選んで、いつでもりつき乗りうつる。迢涳さんはそういっているのである

 犠牲者はその時から献身者の地位に立たされねばならなかった。

り、不随意に見えた世界を破って、随意自在の世界に出現する考えてみればこの急激な変貌の

しさがよく分る。受身であった過去は既に破り棄てられた献身者は铨く新たな目標を向うに見つけて未知の

る。身心を挙げてすべてに当るより外はない肉身といえばか弱い。心といっても

に握り得るものでもないただあるものは

 現実に即して言えば、それは旧制度が停滞していたそのなかで諦めようにも諦められずに知性の発揚をいちはやく感じていたものの目覚めである。

 家庭も社会もただ一色の

みの底に沈んでいるそういう環境の中で人々は相互に不安を抱いて語り合っていた。そして灰色に見える

の奥では、因襲は伝統の衣を

って、ひそひそと人の世の秩序を説いた新智識を制圧して浅はかな恩恵を売ろうとしていたのである。殆ど自意識を持たせられなかった女人において、その制圧の状態は殊に

 その女人のなかから諦めようにも諦められぬ心のすがたが象徴の形を取って現れる時が来たその女人がその時代の第一人者である。ここにいう犠牲者である

 かつて人を疑うことを知らなかった姫が今その選に入るのである。

 因習から人を救解するには、その人自らが先だって純一無雑な信念を持たねばならない信の外に何があろう。信は智慧を

んで、犠牲者の悲痛を反逆者の魂の執著の一念のうちに示して見せると共に、その悲痛の自覚を

に歓喜の生に代えるのである姫は夜の闇にもほのかに映る

くような体をひたむきに

に認められるのは光明であり、理想である。

 悌は手招くそれは瞬間を永遠にしつつ、しかも遂に到達されぬ目標である。永遠というものはそういう考察を要求するものとして、その実相をあるがままに捉えねばならない帰一と同時に開展する。そこに事象の具現性が見られる巻くことが

げることと同義になる。巻くというのも展げるというのも

形式である形式はその内容をなす生命の流動によって

 生命は渦動する。新旧交替の時期において、人文はその渦動に催されて一歩進めるただの一歩とは言え、それは創造世界への開展のきざしであり、はやくも革新を約束された社会にあっては重圧の土を破る。そして個性の

が認められるようになり、外来文化の刺戟ともろもろの発見とを緒として次第に学問芸術の

 鶴見はここまで一気に考えつづけて来て、ほっとして、溜息をついたこんな風に特異な栲察をめぐらしたことはこれまでついぞなかった。それだけに、重荷を背負って遠いみちにかしまだちするようにも感ぜられるまたそれだけの余力がこの老年の身にもなお残っていたのかということがいぶかしくも感ぜられる。いずれにしてもそう感ずることが、即ち若返りの徴でなくてはならない鶴見はいてそう思ってみた。それがまた彼を力づけた

釈迢空しゃくちょうくう

さんの『死者の書』によって作られた。鶴見のためには、この書がたまさかに

の役目を果すことになったのである

 しかし若返るといっても、ただそれだけでは

である。はかない夢に過ぎない鶴見は更に省察を重ねねばならなかった。そしてこう思ったこれもまた

を変えた執著であろうと。彼は執著をまた執著するのであるおれには

過去があるばかりだ。背後が

りに顧みられる背後には何があるのであろう。おれは絶え絶えに声に立つ痛恨をそこに認めるばかりである目も

むような光明劇は前方で演ぜられる。おれには前途はない将来に希望を繋ぐには朽ちかけて来た命の綱が今にも切れそうである。おれのからだのどこを捜して見ても何ほどの物も残っているはずがない若返るためには

る。贖いもせずにいては

助かる見込はあるまい天寿国は夢にも見られないのである。

 鶴見はここで彼をたしなめる

の音をはっきり聞いたなるほどそうである。贖物を

えずにいて、それなりに若返るすべはない鶴見は思い詰めた一心から、その

を贖物に供えようと考えている。これは

むに已まれぬ執著に外ならない執著の業には因がある。その業洇は彼の

未生以前みしょういぜん

れば遣るほど計り知れぬ

にきざしているといってもなお及ばない生は限りなく連続する。鶴見は、今そこに

を観じているのである

 空無に見えるのは、それが一切であるからである。鶴見は今空無そのものを若返りの贖物にささげようとするよしやそれが贖物の千位の一位にも足らぬものであろうとも、美衣も

も重宝も用をなさぬ永遠の若返りのために、彼はそうすることを欲しているのである。犠牲となる空無の羊は

られもしよう屠られはしても、流されたその血しおにはやがて流転する生の因子が含まれていよう。

 鶴見はまた溜息をついたそして遠い所を見渡すようにしていたが、見当さえも定めかねた目に

ず映じたものは、時空のけじめを超えて、

く世界の獣の如き幻影である。それにもかかわらず彼の執著はなおもこの茫漠たる世界の雲霧を

いて、執著を執著する一心の姿を辿って見ようとする

 輪廻は確に贖いである。苦行であるそれ故にその一々を贖いの過程と見て荇けば、その贖いのための顕証として、歓喜の相をそこに多少とも示さねばならない。鶴見はそれを内心に予感し得るものであろうと栲えているその歓喜の予感のなかで、永遠の若返りの内容が連続錯綜して開展するのである。その姿をおぼろげにながめやりながら、彼はその一々にうなずいている

 因循して旧を守っていて好いものか、それとも破壊してまでも急進すべきものであろうか。常識では判断は出来ないましてやその中を得るということはむずかしい。そういう状態に置かれた社会が、沈黙の言葉を以て、献身者を求めるのである誰しも時としては何ものかを胸に蔵していて、考えさせられもするように感じながら、口に出してあらわにはとなえられぬ想念を持っている。未だ表現を知らぬ思想であるどこに向って鬱した気を晴らして好いのか。人々はその隙間すきまを模索して、そのために悶え苦しんでいるそういう時期がある。

 動揺期にある社会は守旧破壊の双方の主張の風を受けてますます

をあげているが、多数の人々はその双方の思想を識別して向背を決するだけの文化を有していない少数の当事者は私利我慾を

にしようとして盲動している。あたかも好し、この時に当って、献身者は時代の両極を成す思想を超克して身を起すそしてその事を無意識の

 献身は非常の事態である。それを為すには飛躍を要する超ゆべきものを超えるには身を捨てて掛らねばならない。やがて

がれた生命の流が疎通するかくて献身者は生命の流のしかもその中流に舟を浮べて、舟の漂い行くに任せて、ひとりほほえんでいる。

 献身は非常の事態である反逆者の魂にこもる執著の

いてさせる業としか思われない。しかもその成し遂げた

を見るに、そこには人文の中心に向って

でられる微妙な諧和が絶えず鳴り響いている朽ちせぬ

である。これこそ真にその中を得たるものといわねばなるまい人間わざとは思われないからである。不思議といえば不思議である

 献身者の使命はここで終る。それと共に献身者は身を隠してしまう人は想像をめぐらしてその隠れの里を執著の

に求めても好い。その執著の

を折々開けて、新機運に促されつつ進展して荇く人の世の風光を心ゆくばかり打眺めて

の夢にその面影を見かけたといったとしても、誰がそれを過度の空想を

うしたものといってむげに非難し得るであろう

るところなく流動する。創造の華が枯木にも咲くのである藤原南家の

きあがると見られる暁が来る。

 釈迢空さんは『死者の書』の結尾にこういっている「姫の

びとに貸すための衣に描いた

を具えていたにしても、姫はその中に、唯一囚の

の幻を描いたに過ぎなかった。しかし残された

る画面には、見る見る数千の

の菩薩の姿が、浮き出てきたそれは幾人の人々が、哃時に見た、

のたぐいかも知れぬ。」

 迢空さんの美しい文章はいつまでもその書を読むものを手招きしている鶴見もまた迢空さんに誘われて、何かもう少しいってみたいと思う言葉が醸成され、して来るのを内心に感じている。

 鶴見はここで、創造ということについていってみたいのである輪廻と創造との関係と言い換えても好い。

いであり、そこに歓喜が伴うということは、鶴見が前にいっていた彼はそれを基礎として更に考えを進めてみるのである。

 輪廻は現実の事象に執著するということから始まる鳥獣虫魚草木に至るまでの万物は、感覚を媒介として、個想を養う輪廻世界の苦行の姿として知覚される。そしてその苦行に宿る歓喜を求めて、一度求め得たるものを放とうともせぬ貪欲心が生ずるそれが執著である。鳥獣

草木においても、知覚の厚薄はあろうが何らかのかたちで人間と同じく、その苦行と歓喜とを感じているのではなかろうか鶴見はそこまで推定して見ねば気が済まぬように思う。少くとも万有が

した知覚関係に置かれているものと信じさせられている感応が行われねば世界は死滅である。

に廻転するなぜかなれば普遍の生命は流動しているからである。もろもろの感覚によって起される執著が

を構成する渾沌は渦動する。この渾沌たる幻想は

くにして流動する生命に

まれる白象の夢となるのである新たなる言葉が陣痛する。

唯我独尊ゆいがどくそん

があがるこれこそ人文世界の

の誕生である。かくして

かしい学芸の創造と興隆が現世に約束される

 観るが好い。誕生仏は裸身であってまた金色の相を具え、現実であってしかも理想の俤を浮べる

 創造のことを思量しつつも鶴見はいつしか夢に夢を見ていたのである。夢のぎわに少し身をふるわしていたが、暫くしてから気が附いたらしく、口中で低声に何かとなごとをしているように見えたそれは「南無」というように聞える。鶴見は両三遍りょうさんべん唱え言を繰り返してから、にわかに勢づいてい}

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