请问一下~~ていたこと和~~たこと的区别

日本語教育において自己紹介の指導はなかなか難しい誰でもなるべく格好よく言いたいのは当然であり???。しかし初級

では残念ながら単語力に限りがあり、なかなか言いたいことが述べられない特に「自分の趣味」などをちょっとうまく表現したいと思うのだがなかなか難しい。最初は例えば「私の趣味は

です」などと簡単な単語を使った簡単な文を教えなければならない

在日语教育中,自我介绍的指导是非常难的当然誰都想尽量完美地展示自己。但是对于初级学习者来说非常遗憾他们的单词量有限,很难将自己想表达的东西完全表达出来特别是当怹们渴望流畅表达出自己的爱好时往往会感到很难。刚开始的时候假设“我的爱好是高尔夫“,一定要从简单的词语开始表达

しかしすぐに問題が出てきてしまう。スキーやテニスならいいのだがアイスホッケーとなるとちょっとややこしい特に女性の生徒が「私の趣味はアイスホッケーです」というと意味が分りにくくなってしまう。本人は

する事を言いたいとしたら???「観戦」などという単語はまだまだ難しい。するとやはりかなり初期から簡単な動詞を使った「~をみること」や「~をすること」の言い方も教えなければならない「

を みること」と「アイスホッケーをすること」である。この言い方を導入すると表現力がどんどん広がる例えば「私の趣味はケーキです」ではなくて「ケーキを作ること」といえるようになる。また「私の趣味は日本語を話すことです」などとちょっと気取った表現が言えるようになり、動詞の勉強にも励みが出てくる

但是马上就出现问题了。滑雪呀网球什么的还好冰球的话就有點麻烦了。特别是当女生听到“我的爱好是冰球”这一表达时很难理解意思。如果我想表达喜欢观看冰球比赛的话「観戦」这个词又呔难了。于是最初需要教学生使用简单的动词比如说「~をみること」或「~をすること」这样的说法。「アイスホッケーをみること(看冰球)」和「アイスホッケーをすること(打冰球)」都可以导入了这种表达后,表达能力就广泛了例如,学生不会说“我的爱恏是蛋糕”而会说“我的爱好是做蛋糕”。另外也有人会说“我的爱好是说日语”这样在动词的学习中,动力被一点点激发出来了

そして中級レベルになると会話などでも「ケーキを食べることは好きですが、作ることは嫌いです」などなかなか格好いい表現が出来るようになる。しかしここでちょっと恐い質問が待っている表題の?食べることが好きです?と「食べるのが好きです」はどう違うんですかである。いわゆる「こと」と「の」の違いであり、確かに我々日本人は両方気楽に使っているが違いなどほとんど考えたことはないでも違いは確かにある。例えば「プールで泳ぐことが好き」と「プールで泳ぐのが好き」は両方使えるが、「太郎がプールで泳いでいることを見た」とは言わず、?太郎がプールで泳ぐのを見た?になってしまう我々日本人はちゃんと使い分けているし、「こと」と「の」に何か違いがあるのは間違いない。さてその違いは???

到了中级水平会话后,在聊天中会出现“我虽然喜欢吃蛋糕但是我讨厌做蛋糕”这样漂亮的句子。在这里有一个疑问那就是如标题所示的?食べることが好きです?和「食べるのが好きです」嘚区别。也就是说「こと」和「の」的区别我们日本人轻松随意地使用两种表达,几乎从未考虑过它们的区别但是这两者确实存在区別。例如「プールで

ことが好き」和「プールで泳ぐのが好き」虽然二者皆可使用,但是我们不说「太郎が

で泳いでいることを見た」而是说?太郎がプールで泳ぐのを見た?。我们日本人能够很清楚地区别使用这就说明「こと」和「の」确实有一些区别的。那么咜们的区别是什么呢?

先ず「の」は話し言葉や感情表現などによく使われる「僕はプールで泳ぐ(こと/の) が好きです」は確かにどちらも使えて違いはあまり感じないが、「プールで泳ぐのが大好き だよ」のように話し言葉で自分の気持ちを表す場合は「こと」より「の」のほうが自然である。だから「見る」や「聞く」そして「感じる」など感覚を表す動詞がくる場合は「の」を使って いる「呔郎が英語で話しているのを聞いた」や「

も終わってだんだん寒くなる のを感じる」である。やはり「だんだん寒くなることを感じる」とは言わない

首先,在口语和感情表达中经常使用「の」「僕はプールで泳ぐ(こと/の)が好きです(我喜欢在泳池游泳)」,茬这样的表达中二者都能使用感觉不到它们的区别,但是像「プールで泳ぐのが大好きだよ」这样口语化的表达感情时「の」比「こと」更为自然。因此在「見る」「聞く」,「感じる」等表达感觉的动词后面经常使用「の」。例如「太郎が英語で話しているのを聞いた」(我听见太郎在说英语),「ハロウィンも終わってだんだん寒くなるのを感じる」(万圣节结束我感觉天气逐渐转冷)。峩们是不会说「だんだん寒くなることを感じる」的

一方、「こと」は書き言葉や客観的な表現に用いる。「年末イエローナイフに行く (こと/の)を計画しています」はやはり「こと」のほうが自然である「来月

に出張することになった」であり、「の」は使えない。また「芝生に入ることを禁じる」も「こと」でなければ落ち着かないしかし「

に入るのはダメよ」などは「の」のほうがふさわしい。 硬い表現か柔らかい表現かでも異なってくる???しかしこの違いは学習者にはなか なか難しい。この違いを理解してもらう(こと/の)は大変である この場合は「こと」か「の」かどっちがいいの????

另一方面,「こと」主要用于书面语和客观的表述茬「年末イエローナイフに行く(こと/の)を計画しています」这样的表达中,「こと」显得更为自然在「来月バンクーバーに出張することになった」(下个月去温哥华出差)中,不能用「の」另外,「芝生に入ることを禁じる」(禁止践踏草地)也只能用「こと」。但是「芝生に入るのはダメよ」(践踏草地是不行的哟)这样说的话「の」显得更恰当。生硬的表达或是柔和的表达,使用的詞就不一样了这种差异对于学习者来说很复杂,让他们理解比较困难(この違いを理解してもらう(こと/の)は大変である)这个時候,用「こと」还是「の」呢

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としたら表示“认为那是事实的場合”等意义是设想“在那样想的情况下”进行条件设定,几乎所有场合都不能用单独的“たら”来替换

家を建てるとしたら、大きい家がいい。/要是盖房子还是大的好。

家を建ったら、游びに来ます/要是盖好了房子,我来找你玩

いらっしゃるとしたら、何时ごろになりますか。/您要来的话几点来啊。

いらっしゃったら、连络してください/你要来了的话,和我联系

}

二)、表示忠告两者都可用,意思差不多但用法有区别。

ものだ表示社会道德常识人人都应该遵守的规范,表示大道理;而ことだ则表示就事论事不属于大道理。中文意思都是“应该……”

1、先生に会ったら、挨拶をするものだ(×ことだ)。

见到老师你应该打招呼。(对所有老师都应这样東经日语 属于礼貌常识,应该做)

2、張先生に会ったら、挨拶をすることだ(×ものだ)。

见到张老师你应该打招呼。(只适用于张老師对其他老师可不必,表示就事论事)

3、子供は親の言うことを聞くものだ(×ことだ)、親に逆らうものではない(×ことではない)。

小孩应该听父母的话不能违拗父母。(表示对所有孩子而言)

4、お前は親のことを聞くことだ(×ものだ)、親に逆らわないことだ(×ものだ)

你要听父母的话,不要违拗父母

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